べんきょうしよう

映画と音楽とアイドルと

【まとめ】短歌を始めました②

短歌を始めた。前回の記事はこちら。

yama51aqua.hatenablog.com

 

短歌は難しい。まだ、短歌の本を買えていない。始めたばかりでさっそく詠みたい、という気持ちより勉強したいという気持ちのほうが強くなっている。今回の前半の首はポンポンと出来たが、そこから途端に出てこなくなってしまった。少し忙しいと短歌を詠もうとしていることを忘れてしまうが、だからといって詠もうと考えすぎると取ってつけたような首しか出てこない。その度にもっと推敲すればよかったと後悔するのだが、Twitterというものの性質上それを許してはくれない。

とはいえ、続いている事自体が私にとって最大の成功だ。(まだ2回だが。)つぎのタームは更に難産になりそうな予感がしているので、早く本を買いに行きたい。本当はもっと、生活に根ざしたナンセンスを詠みたいと思うのだが、上手くいかない。ところで山手線代々木駅と原宿駅の間にある謎の駅を知っているだろうか?なんなのだろうと調べたら宮廷用のホームらしい。

 

 

 

 

【11~20】

常人といけふくろうが対面し あはれ方向音痴再見(サイツェン)

 

夜7時タイムマシンに乗ったのにリプひとつない降りた12時

 

特別な気持ちの眼鏡持たぬまま秋が訪れ冬が訪れ

 

労働を辞めてしまったまだ背負うものを持たない俺(23)(にじゅうさん)

 

約束が木村文乃とでも冬の自転車は嫌(耳がちぎれる)

 

なけなしの150円支払って一駅先へこのバスは行く

 

こんにちはこんばんはとか繰り返しおはよう僕らまた朝が来た

 

現世にはもうないNannを並べてる インスタグラムフォローよろしく!https://t.co/WQ4WvyWmf3

 

荒れる11月の文字は横目にそわそわ時を待ってる手帳

 

脳みそを労働教に侵された奴ら横目に今日も働く

 

 

次回もよろしくお願いします。

 

【テレビ】無駄なことを一緒にしようよ「72時間ホンネテレビ」を観た

2013年の象徴的な音楽といえば、勿論、人それぞれ思い浮かべるものは違うだろうが、多くの人がSMAP「Joy!!」を挙げるのではないだろうか。

 

無駄なことを一緒にしようよ

忘れかけてた魔法とは

つまり Joy!!Joy!!

(Joy! / SMAP)

 

 

穏やかな時間だった。いや確かに、堺正章との緊張の時間や、地上波という檻から放たれた太田光の暴走、森くんとの感動の再会、といった印象的な瞬間のみを切り取って論じれば、穏やかという言葉での総括は、いささか乱暴に見えるかもしれない。だが、72時間のおよそ大部分は、そういった良くいえば穏やか、悪くいえばグダグダな時間によって構成されていた。先程例に挙げた太田光の暴走でさえも、今までSMAPという船を支えてきた彼の不在によって生み出されたグダグダを打ち破るために、半ば必然的に発生したと言ってもいい。あの瞬間、爆笑問題がいなければ、番組はとても視聴に耐えうるものではなかっただろう。(伊達公子は多分本当にイラついていたので、煽りを受けた人はいた)

 

では、そのグダグダな放送がやはりネットテレビと言ったようで、ただ単純に粗末で粗悪なものだったのかというとそうではない。有意義な時間ではなかったが、でも、その"無駄"な時間を僕らは彼らと一緒に過ごしたかったのではなかったか。香取慎吾が笑っている。草彅剛がはしゃいでいる。稲垣吾郎が何かを企んでいる。私の観たいテレビはこれだった。そうその瞬間、何かを思い出すように、そのつまらないグダグダに一瞬で魔法がかかる。

社長の家に香取が絵を描こうという突然の企画。にやにやする草彅剛と、眠そうな稲垣吾郎(皆眠そうなのだが)の横にいる香取慎吾は、なんだか不機嫌そうだ。だが、僕らはそれで嫌な顔や憂鬱な気分になったりはしない。「Joy!!」の歌詞を初めから読み直してみる。

 

気真面目さんはご苦労さん

平日の顔土日まで引きずってる

ギブアップすらも出来損なってる

 

 

奇しくもJoy!を作った津野米咲という作家自身もそうであるように、人間のポジティヴの裏には、沢山のネガティヴな想いやネガティヴな日々があることを僕らは知っている。72時間ホンネテレビは、本当に幸福で、輝きに満ちた時間だった。だけど死んだ目をしながら、喪服で頭を下げた5人の姿だって、ついこないだそこにあった現実なのだ。Joy!!という魔法、それは素晴らしい魔法だが、は「忘れかける」のだ。

 

72曲の過去と現在、生と死を繋ぐ身近でありながら、壮大な音楽たち。香取慎吾は「俺はいつでも最高なのさ」と歌うがその前には「今まで何度倒れただろうか」という言葉も歌われている。締めくくりの小西康晴の仕事ぶりについてはもはや語るまでもないが、私はその前の71曲目が「Joy!!」であったらいいのに、と思った。(勿論、そうではないのはわかっていた)

 

どうにかなるさ 人生は

明るい歌でも歌っていくのさ

Joy!!Joy!!

あの頃の僕らに

今夜だけでもいいから

朝までJoy!!Joy!!

 

 

きっとどうにかなる。私はその日が来ることなんて疑っていなくて信じているけど、来たるその日、「世界に一つだけの花」や「Best Friends」「オリジナルスマイル」などの名曲群と合わせて、また「Joy!!」を聴けることを心待ちにしている。

……というのはとりあえず置いておいて、そんなの全然別にしても、素晴らしい瞬間だった。彼らの新しい旅立ちを、心から祝福したい。

 

 

 

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yama51aqua.hatenablog.com

 

【まとめ】短歌をはじめました①

タイトルのとおりです。ツイートした短歌のまとめ。なんとなーく短歌が流行り始めているなぁと思い私も始めてみたわけだけど、 直接的な原因は米粉さんの短歌。

komugikokomeko.hatenablog.com

短歌ってこんなこと出来るんだ。って思った。(グラハム・ベルと地図アプリが最高にお気に入り)短歌について全然詳しくなかった私は、今のところこれを目指して詠んでいる。

物事を続けられない性格なので、とにかく続けることを目標にした。詠んでも、先生がいないので上達していくかはわからない。とりあえず、いろんなコンセプト、テーマをやってみることにした。天気、感情などが出すぎているものもある。字足らず、字余りのパンクな短歌は憧れるが、始めなので、31文字の制約をきっちり守ることを心がけた。

やってみると「五七七七」の「五」の部分が鬼門だなと思った。気を抜くとすぐに「五七七七」で作ろうとしてしまう。次回は短歌の本でも買って、少し勉強しながらやろうと思う。

 

 

【1~10】

稲作や狩りを知らない村人が常磐線に立たされている

 

もしあれがビル・ゲイツなら大量のそこいら歩くビル・ゲイツども

 

木曜日新垣結衣に会いました ※この物語はフィクションでした

 

雨の日を憎む私に幸福な1週間をくれたら愛だ

 

あなたより幸福な俺 プレートを彩るためにあるパセリでも

 

いつだってエンゼルパイを買い忘れひとりぽっちで雨に打たれる

 

中村が喋る言葉はごみかすと思っていたよ秋の夕暮れ

 

まだ愛を知らぬ子供のひらがなの練習帳のうえおかきくけ

 

#(ハッシュタグ)なんかつけるな 寒空の下の鉄塔誰も見いひん

 

消火器を浴びせちまった友達の2度と描かれることない背中

 

 

次回もよろしくお願いします。

【ドラマ】森下佳子「おんな城主直虎」 33話『嫌われ政次の一生』感想

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大河ドラマ史、いや、ドラマ史に残る傑作だと思う。まずタイトルが素晴らしい。例えば28話『死の帳面』が名前だけでなく「DEATH NOTE」(大場つぐみ小畑健)だったように、このドラマにおけるサブタイトルは物語の細部までを表している。しかも、この話の寿桂尼(浅丘ルリ子)によるデスノートから逃れるためには、一度自らで自らを殺さなければならない、というところまで元ネタ*1 をオマージュしていたのだから笑ってしまう。

その点を踏まえるならば、「嫌われ松子*2 が、苦しくも実は愛に満ちた一生を送ったように、今回の「嫌われ政次」というタイトルは必ずしもその真実を示すものではないだろう。影と光、嘘と本音、黒と白。コインの裏と表のように、視る方向によって解は異なる。同じく高橋一生主演の「カルテット」で坂元裕二が描いたテーマだが、森下佳子は今作で一貫してこの「視る方向によって解は異なる」というテーマを描き続けてきた。

おとわ「正解はございますか」

南渓和尚「皆正解じゃ。答えは一つとは限らんからのう。まだまだあるかも知れんぞう」 *3

 

囲碁のモチーフが絶妙だ。白の碁石は、政次(高橋一生)にとって光であり、太陽だ。白と黒は井伊と小野であり、光と影であるが、その陰は直虎(柴咲コウ)にとっては進むべき道を示す光であったり、寄り添う陽のようであるかもしれない。あるいは、政次を慕うなつ(山口紗弥加)にとっての白石は、太陽であっても見られたくない"お天道様"のようかもしれない。

 

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大河ドラマというのは面白いもので、誰もが放送前に彼の退場を知っている。その死を悼む準備を、心構えを、済ませて画面に臨んでいる。先週の32話に置いても、しつこいほどに”死亡フラグ”が描かれ、強烈な引きで終了するという大演出までされた。にも関わらず、今話の前半は思ったよりは平穏だ。束の間の休息、あるいは"最後の晩餐"か。それも半ばに最後の仕事に向かうところが、この作品の描いた政次像といったところであろうか。もしくは、高橋一生に踊らされる視聴者の心のようか。手の中には収まらない。*4 そして、政次に与えられているのは、選択のための時間なのだ。

「死ぬほど考えるの。それが後悔しないための、たった一つのやり方よ。」*5

 

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政次に迫られる選択は碁という形で示される。これまでの話でも幾度となく繰り返されてきた、不在の相手との対局であるが、もはやいまや、そこに碁盤すら不要である。囲碁のように答えは一つとは限らない。だが同時に、選択したからには必ずその答えが導かれる。悪手を打てば負け、虎松(寺田心)のように泣きをみる。それは、ここでも繰り返し表現される。「かような山猿に騙されるとは思っていなかっただろう?」は近藤(橋本じゅん)。木をとられ、族まで逃され……。井伊から不遇を受けてきた近藤氏。気賀の繁栄と近藤の不遇。*6 光と影、そして因果応報。すべて井伊が選択してきた答えなのだ。「すべては偶然でなく必然」である。必ずそこには選択があり、選択には必ず対価がついて回るのだ。*7

俺一人の首で済ますのが最も血が流れぬ。

(中略)

それこそが小野の本懐だからな。忌み嫌われ、井伊の仇となる。おそらく、私はこのために生まれてきたのだ。

小沢健二でいうところの「この線路」を降りるという選択。*8 「俺一人の首で済ますのが最も血が流れぬ」と高橋一生に言わせることはもはや狙い過ぎの領域だが、丁寧な積み重ねがそれを感じさせない。この話まで描かれてきた政次は完全にハリー・ポッターシリーズにおけるセルビス・スネイプだったが、ここへ来て自ら生命を犠牲にしたアルバス・ダンブルドアまで一人で請け負ってしまう。まさにこのドラマでは、ひとりの人物が光と影をともに内包するのだ。更には「井伊を乗取って、罪人として裁かれる」という「ドラマと史実」という対比構造まで、この一連は包み込んでしてしまう強度を持っている。

 

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初めて政次から打たれた白石。直虎に次の一手の選択が投げられたことを示すと同時に、龍雲丸(柳楽優弥)の「罪人として裁かれるってことだろ、悔しくないのかよ」という問いへの回答にもなっている。黒石(罪)でなく白石(無罪)であることは石を受け取ったものだけがわかっていれば良い。そこからの龍雲丸の台詞「井伊っていうのはあんたのことなんだよ!」まで。正に見事な脚本である。

あんたを守ることを選んだのは、あの人だ

(ここでも”選択”であるということがひたすら強調される。)

 

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直虎の打った黒石。衝撃的な「罪」を負うシーンだ。直虎の「地獄へ堕ちろ」の一言が示すまでもなく、31話で政次の負った罪の反復。両者の碁石が入れ替わったように、同時に二人の会話までが裏返る。放たれた言葉は全て真実で、全て嘘となる。地獄へ墜ちる政次。未来の失われた井伊。奸臣と忠臣。磔にされ、槍で突かれ、血を吐き倒れる政次の本懐(本当の心)は、刺したものだけが知っている。これまでの大河ドラマにおいても、ほとんど描かれてこなかった、衝撃的な演出(なのではないだろうか)によって、黒と白の真実を見事に描ききっている。余談だが、放送前に、政次の退場は否が応でも三谷幸喜新撰組!」(2003)においての、山南敬助(堺雅人)退場回『友の死』を想起させると話題になっていたが(偶然にもこちらも33話である)、友が友によって葬られるという構造まで同一である。

この最も残酷で、最も愛に満ちたシーンをテレビドラマにおいて表現できることに感動を覚える。「嫌われ松子の一生」が川尻松子という人物を通して人間讃歌を描いたように、小野但馬守政次という人物は、これ以上ない愛をもった演出で葬られた。そのことに最大の賛辞を贈りたい。

 

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(ラストカットに描かれた、光に満ちた部屋。)

 

白黒を

つけむと君を

ひとり待つ 

 

かん天伝う日ぞ

楽しからずや

 

 

 

*1:金子修介の映画版

*2:山田宗樹による小説(2003)。映画版(2006)の監督は中島哲也

*3:2話で、おとわ(直虎幼少期:新井美羽)が南渓和尚(小林薫)に問うやり取り。放送開始直前に「直虎男性説」が出てきた事自体、このドラマに対しては眉唾であったと言っていい

*4:史実の「死」に対し、忠臣、共闘、井伊の再興説とこちらもゆらゆらと逃げ惑う。そして龍雲丸による奪還計画。だがこちらも収まらず政次自ら身代わりになってしまった。

*5:木皿泉Q10

*6:小野氏忠臣説の裏の近藤氏の不遇。ここすらも対になっている。

*7:CLAMPxxxHOLiC

*8:17thシングル「ある光」

【ドラマ】遊川和彦「過保護のカホコ」4話 感想

カホコを観ながらTwitterを触っていると(集中しなさい)こんなツイートを見かけました。

 

 まとめる必要があるほど奥行きのあるツイートかどうかはわからないですが、togettterにもまとめられていました。意外と発信者の意図が読めていない人ばかりで驚いた。こち亀の不良の話みたいなものだよね。

 

togetter.com

 

 

 

さて。

 

過保護のカホコ

 

あらすじ(第4話)

カホコ(高畑充希)と泉(黒木瞳)の固い絆が崩れ、正高(時任三郎)は冷戦状態の2人の板挟みにあう。初(竹内涼真)からフラれ、人生初の失恋に落ち込むカホコは、立ち直る方法を探すが…。正高の提案で気分転換のために泉の実家を訪ねたカホコは、初めてお酒で酔い、そのまま初のもとへ向かう! 

 

脚本家の遊川和彦氏は、これまで一貫して「愛」について描いてきました。

その描き方は、良く言えばダイナミックでセンセーショナルなのですが、悪く言えば大袈裟で短絡的で品がないので、個人的にはあまり好きな作家ではないのですが(悲劇を描けば良いと思っている節がある)、が、この作品はここまで比較的面白く観ています。特に今回の4話が良かった。

 

それは勿論、高畑充希の顔を見て泣きそうになる竹内最高涼真と、

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(鼻がピクッ、って動くのだけど画像じゃわからない)

 

 

 

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カホコ「この世界で、家族以外にも自分を必要としてくれる人がいて、いつでも会いたい、って思ってくれるのって、こんなに嬉しいんだね。なんか、あたしも生きてていいんだよって言われてるみたいで。」

 

 

笑顔になって駆け出していく充希が素晴らしかった。

 っていうのもあるのだけれど、それはあくまで副次的要素。

 

 

要点

 

 

パパがプッチンする

ドラマはさっきの幸福なシーンで終われば良いのだけれど、まぁ遊川和彦がそうするわけもなく。(動画)

 

youtu.be

1:45〜  再生していただけると)

 

 

私は大きなテーマを描いている遊川さんはあまり良いとは思いませんが、こんな感じで「父親の悲哀」みたいなものの描き方は非常にうまいと思います。

これは代表作「家政婦のミタ」でもそうだった。

 (シチュエーションなどは大きく違うけれど、描き方がよく似ている。台詞も似ている。)

 

 

1話から、エンターテインメントとしてカホコ(高畑充希)と麦野くん(竹内最高涼真)を描き、ドラマとしての実験*1をしつつも、裏では家庭内で話を聞いてもらえない父親、阻害される父親、空気のように扱われる父親(正高=時任三郎)を描いてきました。脚本家本人の年齢がそのあたりなのもあるのか、そこの微妙な感覚はとても上手いです。*2

 

家を支配する母親(泉=黒木瞳)。娘も支配する母親(勿論、愛情があってのことですが)のため、過保護に育てます。このような場合、だいたい娘が現実を知り反抗期が来て(のように聞きます)親離れするのですが、このドラマではその年齢が遅く設定されています。(大学4年生)

正高は、過保護ではいけない、と感じていますが、母親とは異なる理由で過保護にしてしまいます。娘と母親の間に存在する絆めいたものを、正高は感じることができていないためです。絆が感じられないため、娘に好かれたい、嫌われたくない、という気持ちが要因でつい過保護に接してしまいます。

 

第4話では、麦野へ恋愛をしたことから反抗期を迎えたカホコと、泉との喧嘩の間、なんとか立ち回る正高が描かれています。双方に気を使い、理不尽な頼みを聞き、なんとか問題解決の方法はないか探っています。その癖、彼自身の文句は”心の声”という方法で表現され、当該のシーンまで直接表明されることは少ないです。正高は他にも、親戚づきあいなどで板挟みになるポジションとなっており、ナレーションというわかりやすい手段があるという理由だけではなく、心労が視聴者に伝わってきます。

 

ですが、この涙ぐましい気づかいの数々も、視聴者のみに聞こえる"声"という形、或いは一人称視点的なカメラワーク、彼の目にだけ映るSnow、といった形で表現されたように、家族の誰一人に対しても満足に伝わっていません。

それどころか、彼が気づかいのためにした「何もしなかったこと」が責められ、その癖家族はどうでもいいことにばかり気づき、小言を並べてきます。(積み重なります)

 

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あっパパ、そのグラス使わないでって何回言えばわかるの?

 

 

 

 

 

そして先ほどの動画のシーン。

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ぷっちーん。

(本人は本気でぷつんと切れてしまったのに、他の二人にはどこ吹く風というのが伝わってくるカットで好きです)

 

 


 

心の距離感もうまく表現されていますね。冒頭の電車の話に例えるなら、正高は「座ることを遠慮した」ことに気づかれず、なにも出来ない無能の烙印を押され、立場も、心の居場所もなくなっていきます。(1話で、正高のコネの面接にカホコが落ちてしまったというのも、ある意味象徴的なエピソードです)

 

その冒頭のツイートに関しては、こんな引用ツイートが来ていました。(togetterにもあります)

 

 

 

 

 これはある意味その通りで、「声を出さないと通じない」というのはある意味真理です。正高の場合もある意味そのことは自覚していて、ドラマの中では1話から4話まで毎回しつこいくらいに、心の声ではなく「もし、実際に正高が声をあげていたら」のIFストーリーが挿入されています。

(ただ、「評価されたい」というよりも「よっぽどみんなのために行動しているのに気づかれない」→(この場合)「責められる」ということがかかれています)*3

 

 

 

 

そしてこのシーンは、先ほどの麦野とカホコのシーンに対応しています。

 

 

麦野の心が動くのは、カホコが「言わなくても良いこと」「普通は言わないこと」をまっすぐ麦野に対して伝えるからです。言葉にすると伝わる、ということが描かれています。

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そしてカホコは麦野を「家族以外にも自分を必要としてくれる人」だと感じ「生きてていいんだよって言われてる」と自己肯定感を得ます。1話でカホコは自分で「愛されてる」と言っていますが、それは親戚・家族からの愛情です。カホコは自分で愛されていることを全く疑ってはいませんが、それでは「生きてていい」という感情になりません。「家族以外の人」からの肯定を受けることが「生きてていい」と感じることになるということが逆説的に示されています。

 

 

これを踏まえると悲惨です。正高は「言葉にすべきだったこと」を「言わなかった人」として描かれ、その結果大きな断絶が生じてしまっています。更に家族からは「空気のように」扱われています。「必要としてくれる」の対極です。そして「家族以外の人」からの肯定が必要なのに対し、正高は「家族からの肯定」すらも得られていません。地獄です。*4

 

なにより悲惨な描かれ方をしているのは、この正高(と泉、あるいは家族の関係性)が、カホコの見つけた「愛」の末路だということです。3話でカホコは「どうしてパパはママを好きになったの?」と尋ねています。これはカホコの麦野への愛と、正高の泉(あるいは家族)への愛が対応していることを示しています。正高はせめて泉に肯定されていれば救いがあったのですが、残念ながらそうではありませんでした。

そして更に悲惨なことは、そのまた末路もドラマの中で描かれているということです。カホコの祖父母家(平泉成・梅沢昌代・浜田マリ)家はカホコ家よりも更に悲惨に描かれたばかりです。(騙されて300万の借金を抱えたばかり)ドラマの中でも父親(正高)が「わが家の30年後の姿」と言っています。

 

極めつけに酷い*5のは、このカホコと麦野のシーンのあとに、先ほどの正高が叫ぶシーンが来ることでしょうか。上げて落とす、みたいな感じですね。カホコはエンターテインメント部分(カホコと麦野)が明るく作られているぶん目立ちませんが、やはり遊川和彦らしくて面白いです。*6

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唯一の救い(?)*7

 

さて、という訳でこの先この家族の再生が描かれるはずです。(サラッと流されてしまうかもしれませんが)

先ほど例に挙げた「家政婦のミタ」でも父親について描かれたのは前半部分だったので、次回の5話あたりで一旦このあたりは解決に向かうのかと。後半は遊川さんはもっと大きなものを描いてしまう傾向があるように感じているので、個人的にはとりあえず来週あたりがオススメといったところでしょうか。ただ、カホコは(これまでの反省もあってか)*8非常に明るく作られていると感じるので、是非後半・或いは結末もそういうものであったら良いと思っています。

 

さて、麦野はカホコの言葉に動かされたといいましたが、ではカホコを動かしたものはなんだったでしょうか。それは麦野の言動もあったのでしょうが(竹内涼真が素晴らしいのでそういうふうに見えてしまいますが)それだけではなかったでしょう。

 

 

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この4話においてもカホコを動かしたのは麦野の書いた絵でした。これはずっと一貫しています。麦野がカホコの言葉に動かされたとしたら、カホコは麦野の絵、つまりは言外のものに揺さぶられています。麦野が描いて来たものは「寝ているカホコ」「演奏している糸(久保田紗友)」「頭を下げている父」の絵で、どれも言外の行動をしている絵です。*9言葉にせず失敗した父ですが、言葉ではない姿で思いを伝える姿がここに描かれていて、これが救いになれば良いなと思っています。このあたりが掘り下げられてくると、非常に楽しみとなってくるところです。

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、「過保護のカホコ」4話の感想でした!久々にドラマの更新をしたので疲れた!充希は最高だし、涼真くんは良すぎるので、次回もわーきゃー言いながら観ようと思います。

 

 

*1:GPSやSnow的演出、あまりはまってないと思うけど若者への興味なのだろう

*2:わが家の父親もこうなってしまっているときがあるので尚更リアリティーを感じた。お父さんごめんなさい

*3:こういうこと てつ☆ぱち!@A君(17)の戦争ロス on Twitter: "位置取りが下手な野手がファインプレー連発してるように見えるあれだ https://t.co/Pv5UFEEfJK"

*4:1話などで会社での様子がありましたが、勿論「家族以外の人」からの肯定も得られていません

*5:酷い、悲惨、遊川和彦は好きじゃないと繰り返していますが、この記事は褒めていますし、このあたりも良いニュアンスで使っています。勿論。念のため。

*6:でも落ちたようには感じない。メインテーマではないからか。あるいは父親が阻害されているからかも知れない笑

*7:別に唯一のってことはなかったね

*8:流石に「純と愛」の評判が悪すぎる

*9:そりゃ絵なので当たり前か

【音楽】最近聴いているもの②

色々更新しようとアイディアと下書きだけはたまっているけれど、余裕と時間がなくてできていない。

多分頭が一つじゃ足りなくて、パンクしているだけだと思うから、メンタルの問題。それでも普通に楽しいことはあるし、楽しい時は楽しいし、音楽も聴く。最近聴いた音楽。新譜と旧譜。

 

 

石野理子「道」

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我らが石野理子宇多田ヒカルのカバー。様様。これを聴いてれば、きついときでもまぁ生きてて良いな、となる。アイネクライネのカバーも良かった。

 

②May「こころね

www.youtube.com

ナカコー(スーパーカー)。近年最良ワークスでしょ。Eテレはいい。歌詞も最高。あと絵面。

 

スチャダラパーとEGO-WRAPPIN「ミクロボーイとミクロガール」

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のんちゃん観に行ったけどそんなんどうでもよくて曲が最だった。もちろんのんちゃんもいい。でも世の中の女の子には自撮り棒で回るところがのんちゃんにしかできないなんて思ってほしくない。

 

MONDO GROSSO「ラビリンス」

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こちらも話題の。でもこっちはMVのほうが好き。この街の感じね。王菲とかいそう。アルバムはまだ聞いてないから楽しみ。

 

クラムボン「タイムライン」

www.youtube.com

クラムボンの新曲。

 

⑥柴田聡子「後悔」

www.youtube.com

なんとなく聴いたら、なんか良かった。後悔はしていない。

 

⑦never young beach「SURELY」

www.youtube.com

無限リピートをし続けてるのは「明るい未来」なんだけど新しいのが出てるので。これも予感がある。

 

YUKIさよならバイスタンダー

www.youtube.com

MVフルないので皆こんなの再生しなくていい。から即刻「まばたき」を買いに行って。

 

鎮座DOPENESS×環ROY×U-zhaanサマージャム'95」

www.youtube.com

鎮座ver。夏なんで必須。明日夏が終わるなら別にいいけど。別にスチャのでもいいんでくるくるまわそう。

 

ZAZEN BOYS「泥沼」

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夏なので。あがってたから。

 

小沢健二「ある光」

www.youtube.com

PV上がってたのね。新譜は買えなかったけど(別記事参照)、間違いに気づく気づかないのことをひたすら考えてたのね。私の。

 

中嶋春陽「こんがんきまっし、加賀温泉

www.youtube.com

かわいい。加賀フェス楽しみ。

 

あと青葉市子とか聴いてます。

【音楽】スーパーカー『YUMEGIWA LAST BOY』

ピンポンの再放送を観ている。放送当時も、普段あまりアニメを見ない私が、毎週楽しみにして観ていた作品の一つだ。録画が1話失敗していたのでDVDに保存できておらず、再放送を録画しているが、結局観てしまっている。単純にアニメとしてのクオリティが素晴らしいのだが、原作である漫画へのリスペクト、そして映画版へのオマージュが随所にあるのがいい。アニメ、漫画、映画全部名作な作品も珍しい。

スタッフにも、オマージュのようなものがみられる。音楽の牛尾憲輔氏はLAMAのメンバーで、LAMAは映画版主題歌を歌ったスーパーカーのメンバーを中心に結成されている。そして、エンディングのメレンゲ「僕らについて」もその主題歌「YUMEGIWA LAST BOY」にオマージュを込めた一曲である。間奏のリフレインが素晴らしい。

 


Ping Pong The Animation Ending Full - Bokura Ni Tsuite

 

赤い陽が僕を睨む様

あくびしたら滲んだ世界

望みはメトロノームのよう

全てだけが終わり告げる

 

 

 

 

スーパーカーを聴いたのは15歳のときだ。そのバンドの最初の印象はあんまりよくなくて、初めて「Lucky」を聴いて、この退屈な曲はなんだ!と思った。そして、このバンドを好きになることはないだろう、と思った。

 


SUPERCAR - Lucky

 

 

それなのに、何故か私は「Lucky」が入っていた『16/50』を借りた。きっと、CDショップがセールかなんかをやっていたのだろう。退屈な曲ばかりたっぷり詰め込まれていた。「ああ、やっぱりな」とか思った。思ったんだけど私は、そのアルバムを何度も再生した。そのアルバムがベスト盤だと知ったのは少しあとになってからのことだった。オリジナルアルバムも聞こうと思って、『スリーアウトチェンジ』を借りた。これまた退屈な曲ばかりびっしり詰め込まれていた。

『スリーアウトチェンジ』の評価を見ると、「初期の傑作!」みたいに書かれている。なるほど、確かに演奏もうまくなくて、若々しい。スーパーカーはどうやら、「初期」「中期」「後期」に分かれていて、それぞれで音楽性がだいぶ異なっているらしい。

私は先にベスト盤を借りていたので、「Lucky」「Hello」あたりが初期で、「Sunday People」あたりが中期、「Be」とかが後期か、と推測した。丁寧なことに発表順に収録されているベスト盤だった。そのベスト盤が初期の曲だけを集めたベストだってことは、後から知った。

 

 


Hello スーパーカー

 


スーパーカー - Sunday People

 

www.youtube.com

 

 

 

17歳のとき、演劇を辞めた。辞めた理由は簡単で、よくある人間関係のあれこれとか、方向性の違いとか言うような、あれだ。辞めた時は案外すんなりしていた。その時はバンドを組んでいたので、これでバンドのほうに集中できるなんて気楽なことを思っていた。私は、相変わらずスーパーカーを聴いていた。もう「Futurama」も「HIVISION」も「ANSWER」も揃っていて、後期はエレクトロ路線に進んだ、って言うことの意味も理解した。音楽は初期ギターロックのそれよりもっと退屈で、つまらなかったから、私は何度も再生した。初期の頃のみずみずしさはなくて、歌詞は観念的で、念仏のように繰り返されていたりした。

 


Yumegiwa Last Boy - Supercar (スーパーカー) PV

 

夢際のラストボーイ

永遠なる無限

夢際のラストボーイ

触れていたい夢幻

 

高校生の時に聴いていた音楽を、人は一生聴くと言う。そんな話を聞いたとき私は「いやいや、そんなことはないだろう」と思った。私は常に新しい音楽に飢えていて、新譜をチェックし、旧い音楽をディグり、音楽雑誌を集めた。iTunesの曲数は増えていったが、取り込み終わるたびにまだまだ知らない音楽で溢れている気がして、ひたすらに次聴く音楽を探していた。今もその気持ちはなくなったわけではないけれど、勢いはなくなった。流れているCMもやっているテレビ番組もロッキンオンも変わったのに、私は相変わらずスーパーカーを聴いている。

そして、この年になってもまだ、ずっと、退屈している。うまくなったのは退屈をごまかすために楽しいことを見つけることくらいで、それは意外と上手く行っているのだけれど、それは退屈から逃げているだけのようにも感じる。バンドはすぐに辞めてしまったけれど、演劇の方とはくっついたり、離れたりの曖昧な関係を続けている。正直、こんなことは考えていなかった。諦めるか飽きるか、愛想尽きるか覚悟を決めるか、そんな感じだと思っていたけれど、どうやら気持ちを決めるのに年齢とかはあんまり関係ないらしい。部屋の本棚に並んでいるものは増えたし、色々うまくやっていくすべは見つけたのだけれど、気持ちだけ、『YUMEGIWA LAST BOY』のように、同じ部分をひたすらリフレインしている。

 

 

 

 

 

夢際のラストボーイ

永遠なる無限

夢際のラストボーイ

触れていたい夢幻

 

 

 

 

 

16/50 1997-1999

16/50 1997-1999

 

 

スリーアウトチェンジ

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HIGHVISION

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