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【ドラマ】「過保護のカホコ」4話 感想

カホコを観ながらTwitterを触っていると(集中しなさい)こんなツイートを見かけました。

 

 まとめる必要があるほど奥行きのあるツイートかどうかはわからないですが、togettterにもまとめられていました。意外と発信者の意図が読めていない人ばかりで驚いた。こち亀の不良の話みたいなものだよね。

 

togetter.com

 

 

 

さて。

 

過保護のカホコ

 

あらすじ(第4話)

カホコ(高畑充希)と泉(黒木瞳)の固い絆が崩れ、正高(時任三郎)は冷戦状態の2人の板挟みにあう。初(竹内涼真)からフラれ、人生初の失恋に落ち込むカホコは、立ち直る方法を探すが…。正高の提案で気分転換のために泉の実家を訪ねたカホコは、初めてお酒で酔い、そのまま初のもとへ向かう! 

 

脚本家の遊川和彦氏は、これまで一貫して「愛」について描いてきました。

その描き方は、良く言えばダイナミックでセンセーショナルなのですが、悪く言えば大袈裟で短絡的で品がないので、個人的にはあまり好きな作家ではないのですが(悲劇を描けば良いと思っている節がある)、が、この作品はここまで比較的面白く観ています。特に今回の4話が良かった。

 

それは勿論、高畑充希の顔を見て泣きそうになる竹内最高涼真と、

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(鼻がピクッ、って動くのだけど画像じゃわからない)

 

 

 

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カホコ「この世界で、家族以外にも自分を必要としてくれる人がいて、いつでも会いたい、って思ってくれるのって、こんなに嬉しいんだね。なんか、あたしも生きてていいんだよって言われてるみたいで。」

 

 

笑顔になって駆け出していく充希が素晴らしかった。

 っていうのもあるのだけれど、それはあくまで副次的要素。

 

 

要点

 

 

パパがプッチンする

ドラマはさっきの幸福なシーンで終われば良いのだけれど、まぁ遊川和彦がそうするわけもなく。(動画)

 

youtu.be

1:45〜  再生していただけると)

 

 

私は大きなテーマを描いている遊川さんはあまり良いとは思いませんが、こんな感じで「父親の悲哀」みたいなものの描き方は非常にうまいと思います。

これは代表作「家政婦のミタ」でもそうだった。

 (シチュエーションなどは大きく違うけれど、描き方がよく似ている。台詞も似ている。)

 

 

1話から、エンターテインメントとしてカホコ(高畑充希)と麦野くん(竹内最高涼真)を描き、ドラマとしての実験*1をしつつも、裏では家庭内で話を聞いてもらえない父親、阻害される父親、空気のように扱われる父親(正高=時任三郎)を描いてきました。脚本家本人の年齢がそのあたりなのもあるのか、そこの微妙な感覚はとても上手いです。*2

 

家を支配する母親(泉=黒木瞳)。娘も支配する母親(勿論、愛情があってのことですが)のため、過保護に育てます。このような場合、だいたい娘が現実を知り反抗期が来て(のように聞きます)親離れするのですが、このドラマではその年齢が遅く設定されています。(大学4年生)

正高は、過保護ではいけない、と感じていますが、母親とは異なる理由で過保護にしてしまいます。娘と母親の間に存在する絆めいたものを、正高は感じることができていないためです。絆が感じられないため、娘に好かれたい、嫌われたくない、という気持ちが要因でつい過保護に接してしまいます。

 

第4話では、麦野へ恋愛をしたことから反抗期を迎えたカホコと、泉との喧嘩の間、なんとか立ち回る正高が描かれています。双方に気を使い、理不尽な頼みを聞き、なんとか問題解決の方法はないか探っています。その癖、彼自身の文句は”心の声”という方法で表現され、当該のシーンまで直接表明されることは少ないです。正高は他にも、親戚づきあいなどで板挟みになるポジションとなっており、ナレーションというわかりやすい手段があるという理由だけではなく、心労が視聴者に伝わってきます。

 

ですが、この涙ぐましい気づかいの数々も、視聴者のみに聞こえる"声"という形、或いは一人称視点的なカメラワーク、彼の目にだけ映るSnow、といった形で表現されたように、家族の誰一人に対しても満足に伝わっていません。

それどころか、彼が気づかいのためにした「何もしなかったこと」が責められ、その癖家族はどうでもいいことにばかり気づき、小言を並べてきます。(積み重なります)

 

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あっパパ、そのグラス使わないでって何回言えばわかるの?

 

 

 

 

 

そして先ほどの動画のシーン。

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ぷっちーん。

(本人は本気でぷつんと切れてしまったのに、他の二人にはどこ吹く風というのが伝わってくるカットで好きです)

 

 


 

心の距離感もうまく表現されていますね。冒頭の電車の話に例えるなら、正高は「座ることを遠慮した」ことに気づかれず、なにも出来ない無能の烙印を押され、立場も、心の居場所もなくなっていきます。(1話で、正高のコネの面接にカホコが落ちてしまったというのも、ある意味象徴的なエピソードです)

 

その冒頭のツイートに関しては、こんな引用ツイートが来ていました。(togetterにもあります)

 

 

 

 

 これはある意味その通りで、「声を出さないと通じない」というのはある意味真理です。正高の場合もある意味そのことは自覚していて、ドラマの中では1話から4話まで毎回しつこいくらいに、心の声ではなく「もし、実際に正高が声をあげていたら」のIFストーリーが挿入されています。

(ただ、「評価されたい」というよりも「よっぽどみんなのために行動しているのに気づかれない」→(この場合)「責められる」ということがかかれています)*3

 

 

 

 

そしてこのシーンは、先ほどの麦野とカホコのシーンに対応しています。

 

 

麦野の心が動くのは、カホコが「言わなくても良いこと」「普通は言わないこと」をまっすぐ麦野に対して伝えるからです。言葉にすると伝わる、ということが描かれています。

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そしてカホコは麦野を「家族以外にも自分を必要としてくれる人」だと感じ「生きてていいんだよって言われてる」と自己肯定感を得ます。1話でカホコは自分で「愛されてる」と言っていますが、それは親戚・家族からの愛情です。カホコは自分で愛されていることを全く疑ってはいませんが、それでは「生きてていい」という感情になりません。「家族以外の人」からの肯定を受けることが「生きてていい」と感じることになるということが逆説的に示されています。

 

 

これを踏まえると悲惨です。正高は「言葉にすべきだったこと」を「言わなかった人」として描かれ、その結果大きな断絶が生じてしまっています。更に家族からは「空気のように」扱われています。「必要としてくれる」の対極です。そして「家族以外の人」からの肯定が必要なのに対し、正高は「家族からの肯定」すらも得られていません。地獄です。*4

 

なにより悲惨な描かれ方をしているのは、この正高(と泉、あるいは家族の関係性)が、カホコの見つけた「愛」の末路だということです。3話でカホコは「どうしてパパはママを好きになったの?」と尋ねています。これはカホコの麦野への愛と、正高の泉(あるいは家族)への愛が対応していることを示しています。正高はせめて泉に肯定されていれば救いがあったのですが、残念ながらそうではありませんでした。

そして更に悲惨なことは、そのまた末路もドラマの中で描かれているということです。カホコの祖父母家(平泉成・梅沢昌代・浜田マリ)家はカホコ家よりも更に悲惨に描かれたばかりです。(騙されて300万の借金を抱えたばかり)ドラマの中でも父親(正高)が「わが家の30年後の姿」と言っています。

 

極めつけに酷い*5のは、このカホコと麦野のシーンのあとに、先ほどの正高が叫ぶシーンが来ることでしょうか。上げて落とす、みたいな感じですね。カホコはエンターテインメント部分(カホコと麦野)が明るく作られているぶん目立ちませんが、やはり遊川和彦らしくて面白いです。*6

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唯一の救い(?)*7

 

さて、という訳でこの先この家族の再生が描かれるはずです。(サラッと流されてしまうかもしれませんが)

先ほど例に挙げた「家政婦のミタ」でも父親について描かれたのは前半部分だったので、次回の5話あたりで一旦このあたりは解決に向かうのかと。後半は遊川さんはもっと大きなものを描いてしまう傾向があるように感じているので、個人的にはとりあえず来週あたりがオススメといったところでしょうか。ただ、カホコは(これまでの反省もあってか)*8非常に明るく作られていると感じるので、是非後半・或いは結末もそういうものであったら良いと思っています。

 

さて、麦野はカホコの言葉に動かされたといいましたが、ではカホコを動かしたものはなんだったでしょうか。それは麦野の言動もあったのでしょうが(竹内涼真が素晴らしいのでそういうふうに見えてしまいますが)それだけではなかったでしょう。

 

 

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この4話においてもカホコを動かしたのは麦野の書いた絵でした。これはずっと一貫しています。麦野がカホコの言葉に動かされたとしたら、カホコは麦野の絵、つまりは言外のものに揺さぶられています。麦野が描いて来たものは「寝ているカホコ」「演奏している糸(久保田紗友)」「頭を下げている父」の絵で、どれも言外の行動をしている絵です。*9言葉にせず失敗した父ですが、言葉ではない姿で思いを伝える姿がここに描かれていて、これが救いになれば良いなと思っています。このあたりが掘り下げられてくると、非常に楽しみとなってくるところです。

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、「過保護のカホコ」4話の感想でした!久々にドラマの更新をしたので疲れた!充希は最高だし、涼真くんは良すぎるので、次回もわーきゃー言いながら観ようと思います。

 

 

*1:GPSやSnow的演出、あまりはまってないと思うけど若者への興味なのだろう

*2:わが家の父親もこうなってしまっているときがあるので尚更リアリティーを感じた。お父さんごめんなさい

*3:こういうこと てつ☆ぱち!@A君(17)の戦争ロス on Twitter: "位置取りが下手な野手がファインプレー連発してるように見えるあれだ https://t.co/Pv5UFEEfJK"

*4:1話などで会社での様子がありましたが、勿論「家族以外の人」からの肯定も得られていません

*5:酷い、悲惨、遊川和彦は好きじゃないと繰り返していますが、この記事は褒めていますし、このあたりも良いニュアンスで使っています。勿論。念のため。

*6:でも落ちたようには感じない。メインテーマではないからか。あるいは父親が阻害されているからかも知れない笑

*7:別に唯一のってことはなかったね

*8:流石に「純と愛」の評判が悪すぎる

*9:そりゃ絵なので当たり前か

最近聴いているもの②

色々更新しようとアイディアと下書きだけはたまっているけれど、余裕と時間がなくてできていない。

多分頭が一つじゃ足りなくて、パンクしているだけだと思うから、メンタルの問題。それでも普通に楽しいことはあるし、楽しい時は楽しいし、音楽も聴く。最近聴いた音楽。新譜と旧譜。

 

 

石野理子「道」

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我らが石野理子宇多田ヒカルのカバー。様様。これを聴いてれば、きついときでもまぁ生きてて良いな、となる。アイネクライネのカバーも良かった。

 

②May「こころね

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ナカコー(スーパーカー)。近年最良ワークスでしょ。Eテレはいい。歌詞も最高。あと絵面。

 

スチャダラパーとEGO-WRAPPIN「ミクロボーイとミクロガール」

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のんちゃん観に行ったけどそんなんどうでもよくて曲が最だった。もちろんのんちゃんもいい。でも世の中の女の子には自撮り棒で回るところがのんちゃんにしかできないなんて思ってほしくない。

 

MONDO GROSSO「ラビリンス」

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こちらも話題の。でもこっちはMVのほうが好き。この街の感じね。王菲とかいそう。アルバムはまだ聞いてないから楽しみ。

 

クラムボン「タイムライン」

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クラムボンの新曲。

 

⑥柴田聡子「後悔」

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なんとなく聴いたら、なんか良かった。後悔はしていない。

 

⑦never young beach「SURELY」

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無限リピートをし続けてるのは「明るい未来」なんだけど新しいのが出てるので。これも予感がある。

 

YUKIさよならバイスタンダー

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MVフルないので皆こんなの再生しなくていい。から即刻「まばたき」を買いに行って。

 

鎮座DOPENESS×環ROY×U-zhaanサマージャム'95」

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鎮座ver。夏なんで必須。明日夏が終わるなら別にいいけど。別にスチャのでもいいんでくるくるまわそう。

 

ZAZEN BOYS「泥沼」

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夏なので。あがってたから。

 

小沢健二「ある光」

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PV上がってたのね。新譜は買えなかったけど(別記事参照)、間違いに気づく気づかないのことをひたすら考えてたのね。私の。

 

中嶋春陽「こんがんきまっし、加賀温泉

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かわいい。加賀フェス楽しみ。

 

あと青葉市子とか聴いてます。

スーパーカー『YUMEGIWA LAST BOY』

ピンポンの再放送を観ている。放送当時も、普段あまりアニメを見ない私が、毎週楽しみにして観ていた作品の一つだ。録画が1話失敗していたのでDVDに保存できておらず、再放送を録画しているが、結局観てしまっている。単純にアニメとしてのクオリティが素晴らしいのだが、原作である漫画へのリスペクト、そして映画版へのオマージュが随所にあるのがいい。アニメ、漫画、映画全部名作な作品も珍しい。

スタッフにも、オマージュのようなものがみられる。音楽の牛尾憲輔氏はLAMAのメンバーで、LAMAは映画版主題歌を歌ったスーパーカーのメンバーを中心に結成されている。そして、エンディングのメレンゲ「僕らについて」もその主題歌「YUMEGIWA LAST BOY」にオマージュを込めた一曲である。間奏のリフレインが素晴らしい。

 


Ping Pong The Animation Ending Full - Bokura Ni Tsuite

 

赤い陽が僕を睨む様

あくびしたら滲んだ世界

望みはメトロノームのよう

全てだけが終わり告げる

 

 

 

 

スーパーカーを聴いたのは15歳のときだ。そのバンドの最初の印象はあんまりよくなくて、初めて「Lucky」を聴いて、この退屈な曲はなんだ!と思った。そして、このバンドを好きになることはないだろう、と思った。

 


SUPERCAR - Lucky

 

 

それなのに、何故か私は「Lucky」が入っていた『16/50』を借りた。きっと、CDショップがセールかなんかをやっていたのだろう。退屈な曲ばかりたっぷり詰め込まれていた。「ああ、やっぱりな」とか思った。思ったんだけど私は、そのアルバムを何度も再生した。そのアルバムがベスト盤だと知ったのは少しあとになってからのことだった。オリジナルアルバムも聞こうと思って、『スリーアウトチェンジ』を借りた。これまた退屈な曲ばかりびっしり詰め込まれていた。

『スリーアウトチェンジ』の評価を見ると、「初期の傑作!」みたいに書かれている。なるほど、確かに演奏もうまくなくて、若々しい。スーパーカーはどうやら、「初期」「中期」「後期」に分かれていて、それぞれで音楽性がだいぶ異なっているらしい。

私は先にベスト盤を借りていたので、「Lucky」「Hello」あたりが初期で、「Sunday People」あたりが中期、「Be」とかが後期か、と推測した。丁寧なことに発表順に収録されているベスト盤だった。そのベスト盤が初期の曲だけを集めたベストだってことは、後から知った。

 

 


Hello スーパーカー

 


スーパーカー - Sunday People

 

www.youtube.com

 

 

 

17歳のとき、演劇を辞めた。辞めた理由は簡単で、よくある人間関係のあれこれとか、方向性の違いとか言うような、あれだ。辞めた時は案外すんなりしていた。その時はバンドを組んでいたので、これでバンドのほうに集中できるなんて気楽なことを思っていた。私は、相変わらずスーパーカーを聴いていた。もう「Futurama」も「HIVISION」も「ANSWER」も揃っていて、後期はエレクトロ路線に進んだ、って言うことの意味も理解した。音楽は初期ギターロックのそれよりもっと退屈で、つまらなかったから、私は何度も再生した。初期の頃のみずみずしさはなくて、歌詞は観念的で、念仏のように繰り返されていたりした。

 


Yumegiwa Last Boy - Supercar (スーパーカー) PV

 

夢際のラストボーイ

永遠なる無限

夢際のラストボーイ

触れていたい夢幻

 

高校生の時に聴いていた音楽を、人は一生聴くと言う。そんな話を聞いたとき私は「いやいや、そんなことはないだろう」と思った。私は常に新しい音楽に飢えていて、新譜をチェックし、旧い音楽をディグり、音楽雑誌を集めた。iTunesの曲数は増えていったが、取り込み終わるたびにまだまだ知らない音楽で溢れている気がして、ひたすらに次聴く音楽を探していた。今もその気持ちはなくなったわけではないけれど、勢いはなくなった。流れているCMもやっているテレビ番組もロッキンオンも変わったのに、私は相変わらずスーパーカーを聴いている。

そして、この年になってもまだ、ずっと、退屈している。うまくなったのは退屈をごまかすために楽しいことを見つけることくらいで、それは意外と上手く行っているのだけれど、それは退屈から逃げているだけのようにも感じる。バンドはすぐに辞めてしまったけれど、演劇の方とはくっついたり、離れたりの曖昧な関係を続けている。正直、こんなことは考えていなかった。諦めるか飽きるか、愛想尽きるか覚悟を決めるか、そんな感じだと思っていたけれど、どうやら気持ちを決めるのに年齢とかはあんまり関係ないらしい。部屋の本棚に並んでいるものは増えたし、色々うまくやっていくすべは見つけたのだけれど、気持ちだけ、『YUMEGIWA LAST BOY』のように、同じ部分をひたすらリフレインしている。

 

 

 

 

 

夢際のラストボーイ

永遠なる無限

夢際のラストボーイ

触れていたい夢幻

 

 

 

 

 

16/50 1997-1999

16/50 1997-1999

 

 

スリーアウトチェンジ

スリーアウトチェンジ

 

 

HIGHVISION

HIGHVISION

 

 

 

3月31日坂本真綾好きな曲ランキング

たまにはこういう意味のないエントリーも。

 

坂本真綾さんが好きです。特にここ数年は坂本真綾さんという人の音楽と一緒に生きてきました。彼女と彼女の音楽は私にとって時に宗教であり、時に哲学であり、生活であり、憧れであって、その日の天候や、季節や、体調や、仕事や、人間関係によって聴こえ方も響き方も違います。今日の私が好きな彼女の音楽と、明日の私が好きな彼女の音楽は違います。ここから並べるのは今日の私が好きな彼女の音楽です。それでは、行きましょう。

 

 
 
10.デコボコマーチ(隊列は君に続く) (21thシングル『モワザンワーズ』収録) 

 

初めての恋は小鳥のように笑い 孤独はうつむいて

 

知りたかったことは 知りたくなかったことのいつも隣にいて 

双子のように 同じだけ愛してほしいと私に言った

 

 彼女の詞にある『孤独』というキーワード。けれど、その孤独を避けるのではなく、逃げるのではなく、坂本真綾は、他の色々なことと同じように向き合います。泣き虫もかなしみも喜びも、隊列組んで歩いていこうよって歌です。

 
 
9.eternal return (7thアルバム『You can't catch me』収録)
eternal return

eternal return

『You can't catch me』の1曲目を飾る疾走感あふれるナンバー。この曲のキーワードは”諦めたいのに 何度も何度も手を伸ばす"というところ。

 

 

8.猫背(『シングルコレクション+ ミツバチ』収録)
猫背

猫背

 作詞岩里祐穂×作曲菅野よう子×のゴールデンコンビによる名曲。個人的にチャットモンチーの「ツマサキ」と対な気持ちで聴いています。

 

 

7.ポケットを空にして(1stアルバム『グレープフルーツ』収録)
ポケットを空にして

ポケットを空にして

 ライブのラスト定番の曲。私の人生のテーマ。

”風が変われば僕の道さえ少しはましになるだろう”って気持ちで生きています。

 

 
6.シンガーソングライター(8thアルバム『シンガーソングライター』収録)
シンガーソングライター

シンガーソングライター

 

呼吸はメロディ かかとでリズムを それだけでもう音楽

 

フォロワーさんが歌うのを最近良く聴いたので、大好きになってしまいました。坂本真綾が好き、って言うと「声優さん?」みたいに言われることが多くて、勿論それは正しいのだけれども。私は彼女と歌というものの距離が、こんなふうに近いから、好きです。

 

 

5.うちゅうひこうしのうた(4thアルバム『少年アリス』収録)
うちゅうひこうしのうた

うちゅうひこうしのうた

これも同じく最近好き。小さい頃から憧れている無形の世界っていうものがあるならば、それは例えば、一倉宏(うちゅうひこうしのうたの作詞者)の詞世界のようなものなんじゃないかと思います 。

 

 
4.Gift(『シングルコレクション+ハチポチ』収録)
Gift

Gift

初期のナンバー。"ぼくらから夢奪えば さまよえる未来のクズになる"という一節が最近刺さりまくっています。

 

 

3.僕たちが恋をする理由(2ndミニアルバム『30minutes night flight』収録) 
僕たちが恋をする理由

僕たちが恋をする理由

私は冬が好きです。それはオリオン星が見えるからかも知れませんし、風が冷たいからかもしれません。ともかく、冬の夜の下あるきながらこの曲を聴いていたら、なぜかふっと涙が出てきてしまいました。私が冬を好きなのは、寒くてとても寂しくなるからで、寂しいってってことは誰かのことを考えることで、そんなふうに一人で歩いている人たちは夜空を見上げながらめいめい誰かのこと考えながら、寂しく歩いています。だけど街には不釣り合いにクリスマスソングが流れていて、それがなおのこと寂しくさせていいです。冬が終わってしまいます。

そんなふうに街を歩いていると、なんだかそういうものに、とてつもなく敵わない気がするんですよね。私は坂本真綾坂本真綾である気高さがずっと好きです。

”君の哲学に触れるとき 一番好きな自分になる"

というのは、本当にそうだなと思います。

 

 

2.I.D.(2ndアルバム『DIVE』収録)
I.D.

I.D.

 

一番好きな曲です。(オールタイム)「I.D.」は彼女が自分の足で、小さくてあどけないけれど気高い一歩を、踏み出した曲だと思っています。私はこの詞を書いたときの彼女より長く生きているけれど、”こんなに自由で” ”こんなに確かな” 自分とまだ向き合えていません。すぐそこに居るのだけれど、まだあの空へと踏み出すには時間がかかるみたい。けれど、何かの節目に、いつもこの曲を聴いて、自分の足元を見つめ直しています。

 

 

1.Driving in the silence(3rdミニアルバム『Driving in the silence』収録) 
Driving in the silence

Driving in the silence

  

 

君を好きになることは

自分を好きになること

自分を好きになることは

世界を好きになること

 

冬を歌った名盤、『Driving in the silence』の1曲目であり表題曲。「I.D.」も「eternal return」も好きなので1曲目が好きなのかな。この曲は、こんな歌い出しで始まります。私は自分をすきになれないので、もしかしたら、ちゃんと誰かを好きになったことはないのかも。この曲は、短い曲なのですが、この歌詞が、ここに連結します。

 

静寂を滑る ハンドルを握る

永遠に続く 孤独を握ってる

 

「君」を好きになって「世界」まで好きになっても、そこにあるのは「静寂」と「孤独」です。坂本真綾の詞には、いつも孤独がついて回ります。しかし彼女はやはり孤独を嫌いません。

 

でも隣にある

君の鼓動 細胞 存在

ただそこにいる

君の気配 輪郭 存在

 

先程の「僕たちが恋をする理由」と同じように、「孤独」の隣にあるのは悲しみなどではなく、「君の存在」なのです。冬を歌うアルバムがこの曲で幕を開けるのは素晴らしい。

 

 

ということで、今日の私の好きな曲を選んでみました。もう4月になります、冬も終わってしまいます。寂しい。そんな風に、また明日も坂本真綾を聞きます。

 

坂本真綾さん、お誕生日おめでとうございます。

 

 

初めてクラウドファンディングに参加してみました〜『ビデオアート展を開催したい!中嶋春陽の挑戦』について〜

 

先日、初めてクラウドファンディングに参加してみました!

 

クラウドファンディングと言えば、映画『この世界の片隅に』などでも話題*1になったけれども、何かを企画して、一人では資金が集まらないけれど、インターネットなどを通じて、みんなでお金を少しずつ出しあって、その企画を実現させようよ!という試みみたい。

そして、その企画が実現したら、出資者の人にリターンで恩返しをする、みたいな感じ。映画の製作委員会とかとほとんど一緒だけど、インターネットがあるから一般の人たちで、ちょっとずつお金を集めることが出来るようになって始まったってことかな。

何かの発明でも良いし、誰かの夢でもいいし、映画でも良いんだけど、それが実現したら、支援した人も少し幸せになれる(発明なら、利用できるしね)ので、素敵なことだと思います。

それで、そのクラウドファンディングってものの性質上、支援したからせっかくなので宣伝ブログを!って感じです。お暇なら読んでね。

 

 

それで!今回私が参加したのはこれ!

 

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ソロアーティストとして活動する中嶋春陽さんが、個展(ビデオアート展)を開こうという試み。

中嶋春陽さんの活動について少し説明しておくと、子役から今まで女優として活動していて、MOOSIC LABの『いいにおいのする映画』などに出演してた。それから昨年まではジュネス☆プリンセスというアイドルグループで歌っていた。あとミスiDなんかにも参加している。細かいことはクラウドファンディングの詳細などを是非観て欲しいです。動画などもあります。

ビデオアート展を開催したい!中嶋春陽の挑戦 ~今までの私とこれからの私を新しい形で伝えたい~ | GREEN FUNDING by T-SITE

 

 

私が彼女を応援するようになったのは2年前の梅雨ごろのことで、彼女の写真がCHEERZという写真投稿アプリに投稿されており(現在は参加していない)「あれ?どこかで観たことある子だ!」となって引き込まれました。子役のとき、『スクール!』というテレビドラマに出ていたんですね。高校生の時観ていたドラマで、結構好きだった。

スクール!! DVD-BOX

スクール!! DVD-BOX

 

 

 

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 (多分この写真を見たと思うんだな)

 

 

 

その後、彼女のTwitterをフォローしたり、ブログを読むようになったりしたのだけれども、まず惹かれたのは彼女の言葉と世界だった。彼女は歌を歌っていたり、ダンスを踊っていたりして、それも勿論とても素敵で、すごく好きだったのだけれども、彼女は当時15歳の年齢ながら(こういうのは年齢の問題じゃないような気もするけど)、確固たる自分の世界を持っているように見えた。それがなんだかとても素敵だった。歌やダンスは、なんというかその世界を中から外に出すためのものにも見えた。そういうことはいまいち説明しすぎるのも野暮なので*2、彼女のTwitterやブログを読んでもらえれば伝わると思うんだけど、彼女が頭のなかで想像しているものをツイッターとかで聞くのはとても面白かったし、彼女が大好きな家紋の話を聞くのも最高だった。(家紋!)彼女が聞く音楽も、誰に選ばされたって感じじゃなくて凄くかっこよかった。自分ってものがあるっていうのだろうか。子供の頃星の王子さまとかリンドグレーンみたいな児童文学を読んだこととか、一倉宏の歌詞の世界とか、そんなワクワクを思い出した。

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

 

 

うちゅうひこうしのうた

うちゅうひこうしのうた

 

 

 

そして、今回のクラウドファンディングのテーマにもつながるのだけれど、私は彼女の描く絵に凄く惹かれた。アイドル時代の彼女は、当時迫っていたワンマンライブに向けて、2ヶ月前から一日一回必ずブログを更新していた。そして、そこには彼女の言葉とともに、必ず彼女の描いた絵が一緒に貼られていた。

 

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(全てインスタより 画像ごとにリンクついてます)

 

例えば、あと8日のイラストは、歌っていた楽曲をイメージしたものらしく

 

「 キミにSE・NO・BI 」

グッモーニング♪でワクワクして始まって、
グッイブニング♪で寂しさ、
左から右にかけて1日が終わるイメージ。

教科書にない出来事も~♪
をピンクと元気な緑とチョコカラーで
恋!要素を♪

制服脱いで着替えたら~♪
制服を着ている時、脱いでる時。

君のそばへ走るよ~♪
で、駆け寄る感じ♪

ハルにとっては、少し前の感覚の曲だから
中学生の印象。でね、セーラー服。

きみせの、ジュネ☆プリ最初の曲
まさに、ジュネ☆プリの
若さ、元気さ!みたいな曲♪
この曲も育ってきてるはず!

あらためて、これからも
きみせのをよろしくね!!!

 (そしてカウントダウンイラスト♪ハル♡(後8日) / ジュネス☆プリンセス オフィシャルブログ)

 

歌を歌っているときの気持ちとか、感情とか、そういうのをイラストというものに乗せているのがとても新鮮で、面白くて、凄く感心していたし、同時に、こういうのって、もっと広いところに伝わっていって欲しいなー、って思っていた。決して自分には表現できないことだし、他の人でも、彼女が思っていることを表現することは出来ないので、彼女の絵を見ることでしか、その気持はないわけですね。ブログに書いてある解説を見てもよくわかんなかったりするんだけど、そのよくわかんないことが、面白いなー、すげーなーって感じで見ていました。(語彙)

 

 

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(例えば私は、モーリス・センダック佐々木マキさんの絵が好きなのですけど、センダックの世界はセンダックを観ることでしか感じられない)

 

 

 

そして中嶋春陽さんは今、ソロとして活動しているのですが、そこで彼女が観せてくれるイラストなども、とても素敵なものが多くて。

 

www.instagram.com

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(写真に絵というアイディアはアイドルをやっていたからこそ出たというか、ちょっと凄い) 

 

 

 

要するに(最後に)

彼女は今も歌を歌っているのだけれど、観ている感じでは絵と歌うことが結びつくのも自然なことで。

中嶋春陽さんの絵も、歌もだけれど、彼女の表現するものがもっと観たくてたまらないし、単純に個展に足を運びたい!あと、その個展をきっかけに色んな人に彼女の表現するものが伝わっていくと良いなと思ってクラウドファンディングに参加しました。もっと大きな場所で表現するきっかけにもなってほしいなって個人的には思います。

絵は勿論そうだけど、クラウドファンディングとかに頼らずとももっと勝手に広がっていくべきだと思ったりもして。あと、映像作品のなかの彼女もとても素敵なので、(もし市川準監督あたりがご存命なら真っ先にカメラに収めていたと思う)『いいにおいのする映画』などもぜひ観てみてほしい。単純にすごく美少女だし映像映えするので、もっと映画に出てほしいな!とにかく面白くて才能溢れる人なので、色々な人に伝えたいです。*3

ともかく。中嶋春陽さんの個展を是非観たいと私は感じるし、是非こういうものがあるよ、こういう人がいるよ、って伝えたいなと思ってブログを書きました。(あと自分の日記としてね)

もう目標金額には達しているし、支援も3000円からのコースなので、いきなり支援ってわけにも行かないと思いますが、こんな人がいるのね!って紹介のブログでした。イラストとか観てると素敵な気持ちになるよ。

 

 

 

 

あと今日のテーマソング。


YUKI ♪プリズム Prism 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【感想】「カルテット」1章、2章感想

私は英語が苦手でした。「live」は住む、でも「live」だけじゃ「生きる」とか、「ライブ放送」という意味になってしまって、「live in」としないと「住む」という意味にはなりません。中学生の私にはその辺りがイマイチピンと来ませんでした。

今なら、すんなりわかります。「住む」ことは「生きる」ということだからです。正確に言うと「〜に生きる」なのかな。
最初、どうして坂元裕二は「カルテット」で男女が一緒に住む、というテラスハウス的なことをしたのかよくわかりませんでした。けれど、今はわかります。一緒に住むということは、一緒に生きるということとほとんど同義だからです。
 
 
 
 
「カルテット」現在、第1章、第2章が終わり、最終幕が開けましたが、野球の延長もあり、私はまだ最新の8話を観ていません。せっかくなので、7話まで、つまり第1章、第2章の「住む」ということ、「〜に生きる」の「〜」が「カルテット」になるまでに関して、私なりの感想、思ったことを書いておきたいと思います。*1
 
 
 
 
一緒に住むということ
「唐揚げにレモンかけますか?」この問いがでるのは、仕事の場でもなければ、遊びの場でもありません。食事の場です。食べることは、生きることです。
一緒に生活をするということは、色んなハードルを越えることです。人と人との間には、距離があります。これを縮めるために、人は努力します。様々な方法を使います。
例えば、恋をします。ごっこ遊びのようなことをします。アルプス一万尺をします。あるいは、料理を作ります。タラのムニエルを作ります。部屋に歯ブラシを置きます。
距離を縮めましょう、という約束が結婚なのかもしれません。二人の間のちょうどいい距離が違ったから離婚するのかもしれません。
距離を縮める、ハードルを越える手段の一つが、住むことです。しかも、その距離を半ば強引に飛び越えてしまおうという手段です。
もし、飲み会の場で、から揚げにレモンかけられてしまったら。「ああ……」って声にならない叫びは出ても、上下関係や付き合いもあるし咎められない。もし咎めたら、なんか変な空気になるし、場の雰囲気を壊してしまうかもしれません。仲が良い人なら「やめろよー」「すまんすまん」で済むことでも、先輩になんか言えません。
けれど、一緒に住むと「レモンかけないで」と言わないと、次も、その次もかけられることになります。これから一緒に暮らしていくのに、趣味に合わない「から揚げにレモンをかける」という行為をいつまでも続けられることになります。だから「距離を縮める」という段階を飛び越えて言います「レモンかけないでください」
こうしてその住む場所には、「勝手にレモンをかけない」というルールが出来ます*2
 
 
段階を一気に飛び越えて、でもそのままじゃめちゃくちゃになってしまうから、お互いを守るためのルールを作ります。あるいは、もっと近づくためのルールを作ります。火曜日の「ハグの日」のように、はっきりと言葉にされたルールもあれば、いつの間にか出来ているルールもあります。ゴミを捨てる人は勝手に決まってて、いつも同じ人だったりします。他の人は部屋がゴミで溢れたら困るのに、自分ではゴミを捨てない人。なんで私が、と思いながら、毎回ゴミを捨てる人。
対照的に見える二人は、好きな食べ物も寝る時間も違います。けれど、同じ洗濯機で下着を洗います。同じシャンプーを使います。
同じ洗濯機を使う人は、似てきます。声は、一緒に小さくなります。*3

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一緒に住むことは、ルールを作ること
同じところで生きていく人たちは、新たにみんなとは違うルールを作ることもできます。社会のルールでは朝起きたら学校に行かなきゃいけないけれど、お母さんが「今日は、学校休もっか」と言ったら、学校を休むことができます。父親が死んだら娘は病院に行かなくちゃ行けないけれど、「行かなくていいよ」と言われたら病院に行かないで家に帰れます。
 
ルールを作るということは同時に、我慢する人を作ることです。
旧い靴下から、新しい靴下に変えるタイミングはいつでしょうか。穴が空いたら?ゴムが緩んだら?三ヶ月履いたら?それとも一度履いたら、使い捨て?
「えっ、その靴下、まだ履けるよ、捨てちゃうの?」
「あ、でも、これもう10回履いたやつだし」
「でも、まだ綺麗じゃない」
「でもそのうち穴が開くよ」
「穴なんて、ふさいであげるよ」
これが価値観の違いです。
奥さんは靴下がボロボロになるまで履いて、夫さんは10回で捨てる。それが本来、お互いの価値観を尊重しあうということです。だけど、そんなふうに暮らしている人は多くないし、その価値観を尊重することは何か別の価値観を尊重しないことかもしれない。2人の折り合いがつくところでルールを決めるか、片方が飲み込んでルールにします。こうやって一方は我慢して、もう一方は我慢させていることを気付かずに、あるいはそれとは違った方法でやり過ごして、生活していきます。
 
 
カルテットに住むことを選択した人たち
カルテットに集まった4人は、皆、以前までの生活を辞め、軽井沢という特殊な土地で、カルテットとしてやらなくてはならない「演奏する」ことと同時に「住む」ことを始めました。「楽器はどれくらいできるの?」とか「得意な曲は?」とか(わかりませんけど)、本来ならカルテットとして重要なことを尋ねる前に、別府くんは住む軽井沢について説明をします。
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彼らは、新しく「住む」ということを選択した人、あるいはせざるをしなかった人でした。家森とすずめは住む場所を追われた人でした。すずめは前の職場のルールで、「出ていけ」と書かれ、彼女のルールでそれが100枚程たまると出て行った。家森は前の家族のルールに我慢できなくなって、あるいは我慢してもらえなくなって、紙に名前を書いて"地獄”から抜け出しました。

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別府は、前の住む場所に居場所がなかったことも想像できますし、読み取れますが、そのことよりも、むしろ距離を飛び越えるために「住む」という手段を選択した人として描かれています。住むことは一気にハードルを越えることですから、真紀との距離を縮めたくて、選択をした人です。
 
真紀はどうでしよう。真紀は1話で「私もう、帰るところないんです」と言い、買ってきたカーテンを家にかけました。こうして、とりあえずカルテットのメンバー全員が、「一緒に住む」ことを選択しました。
けれど、「カルテット」はまだ、仮の一緒に住むメンバーです。皆がどこかに、生活の欠片を置いてきたままになっています。
すずめの欠片は納骨堂に置いたままにしてきているし、家森は息子のことが常に気にかかっています。*4
 
カルテットの一章は、その移動しきれていない想いのようなものが、少しづつ住むということを通して、移動するというか、解消されて、一緒に住む共同住人として、カルテットメンバーとして、一つになっていく過程が描かれていました。すずめがいう聞き慣れない「みぞみぞする」という言葉は、感覚として4人の共通言語になっていきました。

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1章の最後で、この生活を一度ぶち壊したのがすずめではなく、真紀でもなく、家森のトラブルや別府の愛情でもなく、
有朱だったのは、その生活の中に居ない人で、同じシャンプーを使っていない人だったからです。有朱は、誰かと何かを共有できない人です。他人と同じルールを作れない人です。壊してしまう人です。だから、あそこで壊すのは有朱でなければならなかったわけです。*5

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1話で車の前で転んだ3人、マンションで転んだ真紀
*6
さて、すずめや家森を縛るものが軽くなっていくなか、真紀には残っていました。真紀さんだけ住むということの一部を東京のマンションに置いたままにされているのでした。
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夫さん(幹生)が戻ってきたことで、脱いだ靴下の枷がなくなりました。

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幹生は真紀と自然に結ばれた「ルール」の中で我慢して、妥協して、耐え忍んで逃げ出してしまった人でした。
夫婦であろうと、価値観の違いは存在するわけで、少なからず妥協点を見つけてやっていくしかないわけで。
反対に、真紀さんはその妥協点を楽しんで、惹かれて生きていました。
ここは、坂元裕二の優しさと、オマージュだったと思います。
 
 
こんなに面白くないもの、面白いって言うなんて、
面白い人だなって
よくわからなくて楽しかったの
(カルテット 7話)

 

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君のオススメに面白いものは
一つもなかった
それでもついていきたいと思った
楽しい日曜日
大森靖子「愛してる.com」
 

 

 

4人で「カルテット」に住む
1話で真紀は夫婦を「別れられる家族」と言いました。
その通り、真紀さんは幹生と家族であることを辞めました。

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(でも、一緒に生きていたからできること。)

 
けれど、夫婦以外の家族も同じなのかもしれない。すずめはお父さんに会いませんでした。家森は息子と住めませんでした。まだ描ききっていない別府の家族ことも気になります。もしかしたら別れられない家族なんて存在しないのかも。
真紀が詩集を暖炉に放り込んで、枷が無くなり、カルテットと住むところを選択したところで、2章は終わります。素晴らしい終わり方だと思います。*7
さて、このあと、最終幕、どんなまさかが待っているのか。これからどう生きていく様子が描かれるのでしょうか。
大分夜も遅くなってしまったので、最新話、また明日の楽しみにしたいと思います。
 

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(脱がれたもう一足の靴下。ここから始まりここに戻ってくる話だったように思う。)*8

 
 
 
 
 
 
 
 
 

*1:本当は5話くらいで書きたかったので、賞味期限切れ感が否めません

*2:だから真紀さんは「夫婦じゃなかったんだ」と言います

*3:一緒に生活したからお互い小さくなったと思って書いてたんですけど、お互い小さいから一緒になったみたいですね。

*4:別府は音楽家の家族としての別府なのだろうけど、いまいちそこを理解できていない。彼だけ演奏前のルーティーンがわからない

*5:住む人のルールを、住まない人のルールで壊された状況があったわけですが、それ自体は有耶無耶にされてしまいました……。ここは大した問題でなく、もう描かないだろう

*6:関係ないかもしれません。

*7:「住む」と言う意味の生きるではなく、ただ単純に「生きていく」という意味では、当て振りを選択したのも真紀だった

*8:靴下を足で脱いだり、ゆるい靴下を履いていたり。これって住むまでわからない価値観の違いで、住んで受け入れることのように思う

小沢健二の新譜が買えなかった

小沢健二が2017年2月22日に、19年ぶりのシングル、『流動体について』をリリースした。

流動体について

流動体について

 

 

 
 
このリリースは、驚きと歓喜を持って迎えられた。それはそうである。あの小沢健二が、ふいに。急に。シングルをリリースするのである。新曲がリリースされるのである。
そしてそれは、とても"彼らしい”方法で(私は小沢健二のことをよく知っている訳ではないが)発表されたのである。前年のライブの評判も、新曲の評判も素晴らしいものだった。そのリリースは、決して、多くのアーティストがするような、懐古のみに満ちたものではなかった。
当時から彼を好きなファンは勿論、彼の音楽は20年近く経った今でも旧くなっていなかったから、多くの若者もそれに惹きつけられた。私もそれに漏れず、その素敵な報せをそういった気持ちで聴いていた。普段あまりCDを買わないけれど、店着日には、いち早く店頭へ向かおうと思っていた。
……にもかかわらず、である。
 
私は、小沢健二の新譜が買えなかった。
 
今でも、店頭には並んでいると思うし、もしなくても、取り寄せたり探せば容易に手に出来る。そんなことはわかっている。私にとって、そういうことではないのだ。
 
 
店着日には上手く予定が噛み合わず、店舗に足を運べなかったが、それでも、発売日の次の日には、タワレコに足を運んだ。あった。探すまでもなく、ど真ん中に、そこに、ずらーっと、どーんと、あった。「小沢健二新曲!!」の文字。『球体の奏でる音楽』のようなジャケット。(しかも、大きい)
丁寧に試聴機まで置いてあって、聴いてみようと手に取った。けれど、その瞬間に聴いたことのないオザケンの曲が耳に飛び込んでくる。既にお店の中でもガンガンに流れているのだ。
一呼吸おいて、ヘッドホンを耳につける。間違いない、小沢健二の新曲なのである。しかも、聴きたかった小沢健二の新曲なのである。隣には男の子がいて、彼も一枚手に取っている。私は、試聴機にもかかわらず、その曲をフルで聴いた、試聴機はご丁寧にもう一台あって、私は気を使う必要がなかった、そして、2曲目の「神秘的」まで贅沢に試聴機で聴いた。そして、レジに持って行こうと、手に取った。ここまでは順調だ。
 
そして、私は、そこで満足してしまったのである。 
彼の新譜は素晴らしいものだったし、文句なんてひとつもなかった。むしろ、感動すら覚えていた。だから、自分でも何故かわからない。
無理やり理由を考えてみても、碌な理由は思い付かない。例えば、その日はひどくお腹が空いていた。
その日のお昼は少しだけ贅沢をしていたので、夜は軽食で済ませようと思っていた。けれど、にもかかわらず、私は空腹だった。ひどく空腹だった。そしてその時、私は、カレー屋でナンを食べることに酷くハマっていた。(というか今もハマっている)
 
 
CDを手に取った瞬間、CDを買わなかった自分のことが頭に浮かんだ。ここでCDを買わなければ、1000円のカレーセット(ナンお代わり自由)がお腹いっぱいに食べれて、200円も余る。そんなことが頭をよぎった。勿論、それで本当に買うのをやめようと思ったわけではない。それがよぎった瞬間、私の頭にまさか「私は、この物体を買ってどうしたいのだ?」という問いが生まれてしまった。
 
このCDを買えば、私は勿論このCDを聴くだろう。だが、それはこの美しく並べられたCDそのものではない。私は、そこから取り出したデータをただひたすらに読み込み、読み直すのだ。そこには、このなんとかインチのジャケットは、なにも関わってこない。ただよみ終わり再び心臓部が袋に戻されるのを待っているだけだ。それなら別に配信でもアップルミュージックでもYouTubeでもいい。(オザケンがそこにあるかは知らない。)わざわざこんな大きな容器を用意する必要など無いのだ。
それでも、まだこのCDに1200円なんかより相当高い値打ちが、私にとってはあるはずだった。
私の部屋にある『LIFE』は多分、一度も再生されていない。で、棚の奥の方で眠っている。このアルバムは初めレンタルで借りてきたものだったが、この発売と同じ年に生まれた私にも強烈に響いた。気付いた頃には、私の人生のアルバムベスト10に入るようなアルバムになっていた。
その頃にはブックオフで250円でいくらでも並んでいたアルバムだったが、たとえ一回も再生されなくても、私の部屋のどこかに、繰り返しているそのデータの元があることは、私にずっと重要なことだったのだ。
そして、『流動体について』は『LIFE』若しくは「天使たちのシーン」や「さよならなんて云えないよ」などとくらべても、まったく劣るものとは思わなかった。つまり、私にとって容器を用意する意味のあるものであるはずだった。
でも、どうすれば良かったのだろう。部屋に持ち帰り、本棚の上に飾っておけば良かったのか。あるいは、「小沢健二の新譜!」みたいな感じで、写真を撮って呟けば良かったのか。どちらでもなくて、パソコンに取り込んだあとで、棚の端のほうに、他のあれこれと同じように、眠らせておけば良かったのか。そのどれも、私には違う気がした。
なんて、訳の分からないことばかりをふと考え始めてしまい、私の「買いたい気持ち」は急激に冷めてしまい、「まぁ、また別の日に買えばいいや」みたいな感じで、急いでないし、みたいに自分に何故か言い訳をしながらタワレコを出た。そして、その後意味もなくHMVにもより、小沢健二の新譜が並んでいるのを確認してから、私はカレー屋に入り、ナンを2枚おかわりした。
LIFE

LIFE

 

 

 
数日経った今日、バイトの帰りにまた、CDショップに寄った。今度こそ帰ると思いCDを探した。一週以上経っていたため、メインキャストを張ってはいなかったが、それでもそこそこ目立つところに彼はいた。しかし、そこにはなんとかインチのかっこいいジャケットは並んでおらず、代わりに通常盤、と書かれたそれが並んでいた。こちらのほうが小さいし置き場にも困らない。けれど、また買うのを躊躇してしまった。なんだか、尚更、ただのデータの容れ物に見えた。
そして私は思った。CDをインテリアとして置く覚悟がないと、もうCDを買えないのだと。あるいは、CDに付加価値を持たせないと、もうCDを買えないのだと。考えてみれば、250円で『LIFE』を買った時からそうだった。私は私の部屋に(例え飾られていなくても)それがあることに満たされ、満足していた。
私は、私の部屋のインテリアとして、小沢健二の新譜を置く自信がなかったのだ。私は付加価値は別にして、小沢健二の新譜を聴きたかったのである。というか、ただ単純に、、好きなアーティストの新譜を楽しみたかったのだ。
けれど、他の多くの音楽は、月1000円ほど払えば聴けてしまうのだ。それは決して1000円ぽっちの価値ではないとしても、その値段で聴けてしまうのだ。けれど、そこにある音楽とない音楽がある。無い2曲に存在する何万曲の値段を払う?
こんなことは、考えなければ問題ないのだ。別にお金がないわけではないのだから、ただ、何故か私は空腹のせいでそんなことを考えてしまって、小沢健二の新譜を買えずじまいでいる。
 
そうやってふっと色々感じてしまった私は、わざわざ付加価値を背負えるほど、この新譜が欲しいかわからなくなってしまい、なぜか私は、ナンを食べてインスタグラムにあげる付加価値を選んだのである。(フォロー、フォロワー0人)