世界の魔法について

それと、あとほんの少しのいくつか

【ドラマ】坂元裕二『スイッチ』

もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?

並行する世界の毎日

子どもたちも違う子たちか

ほの甘いカルピスの味が 現状を問いかける

(小沢健二「流動体について」)

 

2時間ドラマであるからだろうか(?) 坂元裕二の作品の中では極めてわかりやすく作ってあるように思う。モノローグからの導入もそうであるし、古畑任三郎よろしく、サスペンスの犯人も被害者も最初に明かされてしまう。メタファーは丁寧に回想シーンが挿入され説明され、遊びなくすぐに”お得意”の食事シーンの会話劇へと突入する。

しかし、それでいてこのドラマはちっとも「親切」なドラマではない、と思う。サスペンス作品として理解することは簡単だ。宮崎駿宮本茂を例にした美学、グロテスクなまでに音で描写された殺人シーン、非常にわかりやすくサスペンス的面白さで肉付けされているが、しかし『カルテット』よろしく、事件そのものにはなんてことはない、全然意味なんてないのだ。つまりそこから先は相変わらず、まったくもって不親切なのだ。

 

というのも、坂元裕二は、丁寧に丁寧に、しつこく、何度も何度も同じところ、これまでの作品で描いたテーマを周回し続けてみせる。テレ朝の2時間サスペンスドラマ、という趣きで観ている視聴者への親切心は、やはり物語的にわかりやすいキューが入っているという程度に留まっていて、「隣のレジに並んでいたら?」という駒月直(阿部サダヲ)の語りを実証してみせるかのように、物語そのものの本懐は、今まで並んでいたレジのすぐ隣ですよ、という顔をして語りだす。そういった意味で極めて不親切であり、ある意味、この作品は極めて坂元裕二の「集大成的」な作品といえるかもしれない。

そうなのだ。坂元裕二はいつも、これまで描いたテーマのすぐそばを、すぐ隣を、塗りなおすみたいに問いかけてみせる。*1「ラブ ジャンクション」*2なんて『東京ラブストーリー』のパロディでふざけてみせるように、または「最高の離婚」と同じく、JUDY AND MARYを引用して見せるように、これはサスペンスでもなんでもなくて、ついに40歳を超えてしまった2人を通した、"忘れられない初恋"のオマージュであり、書き換えだ。

つまり、表層では「わかりやすい」サスペンスとして進んでいくのと裏腹に、要所でラブストーリーの文脈が顔を出して物語はすすみ、混ざり合っていく。しかしこの「ラブストーリー」というのも、つまりは「忘れられない初恋」であるから、単純な「恋愛もの」の言いかえではないのだから厄介だ。坂元裕二の描く「忘れられない初恋」は、常に社会と密接に連動して、混ざり合っていく。

 

大切な人がいて、

その人を助けようと思う時、

その人の手を引けば済むことではない。

その人を取り巻くすべてを変えなければならない

『往復書簡 初恋と不倫 不帰の初恋 海老名SA』

この世界には理不尽な死があるの。

どこかで誰かが理不尽に死ぬことは私たちの心の死でもあるの。

『往復書簡 初恋と不倫 カラシニコフ不倫海峡』

すべては、理不尽な、どうしようもない社会と地続きにある。岡崎京子リバーズ・エッジ』の川の流れが、彼女たちの恋愛のすぐ隣にあったたように。ただ、事件でかかわっただけの被害者の思いに共鳴して、自分のこととして捉えてしまうように。

「彼女がされたことって私たちがされたことじゃない!」

と、『スイッチ』では、蔦谷円(松たか子)に反復させてみせるその哲学は、一方では「大切な人の手を引く」という、暗闇のような世界から引っ張りあげるような光であるようも見える。

 

だが、他方でそれは、激烈なひずみとなって現れる。『Mother』の鈴原奈緒(松雪泰子)が「誘拐」という形で道木怜南(芦田愛菜)を救おうとしたように、『anone』の暗闇から抜け出そうとする連隊が、偽札づくりという形で表現されたように。良い/悪い、黒/白が混ざり合った、"してはいけない"ひずみの形で、今回は「殺人のスイッチ」という形で、表出するのだ。そうなのだ、これは円の行為は「誰かの手を引くこと」ではあり、同時に、本人がこらえても、どうしようもなく入ってしまう、抗うことのできない狂気の「殺人のスイッチ」でもある。

どうしようもない「殺人のスイッチ」。これは『それでも、生きてゆく』の三崎文哉(風間俊介)、あるいは舞台『またここか』の吉村界人、などを通して、これまた「忘れられない初恋」と同じように、あるいはその2つが地続きであるからこそ、何度も何度も繰り返し描かれてきた。また、何度も挑まれ描かれても、それでも、答えがでない、もしかしたら、狂気を抱いた当人すら「理解できないもの」で

また、ここか

『またここか』

 とスタートに戻されたテーマなのである。その狂気を抱えながら、それでも、生きていかなくてはならないこと、今回並んだレジでも、直の、

「またか」

という台詞に集約されたように、抱きながら抱えながら、"また"起こってしまっても進んでいかなくてはならない衝動なのである。

 

これまでは、どこか遠い、理解のできない、ステロタイプ的言い方をしてしまえばサイコパス的ものとして描かれた「狂気のスイッチ」を、こちら側に手繰り寄せるように、大切な何かの手を引く場合なら果たしてどうなのか?という問いかけにして、答えが出ない曖昧なまま、また、私たちに届けられているのだ*3。円と直の

「もういっかい行くから、(刑務所から)出てきたら絶対殺す」

「そのたびに俺は邪魔するから」

というやり取りの、どちらも成り立ってしまう正義と不正義。正しいかどうかという白黒は決してわからない。*4ただ、「隣のレジに並んでいたら?」と自らを思い返すように、坂元裕二もまた、物語を変えて何度も何度も周回させながら、音を立てて飲むカルピスを通して、"また"そのことを問いかけ続けているのである。

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TVerでまだ観れるみたいです。

 

スイッチ 《日曜プライム ドラマスペシャル》

tver.jp

*1:それなので、今後はもしかしたらずっと「集大成」のような作品ばかりかもしれない

*2:これもまたわかりやすく説明してくれている

*3:松たか子の非常にキュートな「スイッチ」が入る演出もまた、ポップであるが故に

*4:だからこそ「あなたと2人で」いることは光にもなる