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【雑記】エッセイを読む

年々、何故か小説が読めなくなっているので、最近の読書と言えば専らエッセイということになる。

エッセイはいい。無理に何かを想像したり、頭の中で動かしてみたりする必要がない。極端な話、内容がわからなくてもいい。普段誰かの話を聴くときのように、聞いているか、聞いていないんだかって感じで、なんとなく読んでいればいい。興味のない腕時計の話ばかりしてくる上司の話は、無理して聞かなくてはならないが、エッセイなら、それもない。やめたきゃやめればいいし、なんなら飛ばせばいい。

ただ、ぼんやり話を聞いているときと同じで、適当に読んでいるからといって、自分にとってどうでもいい無駄な時間かというと、別にそんなことはない。案外、そういった中に、自分自身の考えを形作るものや、勝手に何かの指針となる言葉があったりするものだ。

また、どうでもいい話を聞いていることがきっかけで、別の大事なことをふっと思い出したりするものだ。「あ、電気料金の払込今日までだったな」とか。違うか。

 

この前は、北川悦吏子のエッセイを読んだ。

恋愛道 (角川文庫)

恋愛道 (角川文庫)

 

 あの恋愛ドラマの女王が書くエッセイだから「うわ!モテそう!」みたいなところばかりかと思ったら、案外そんなこともないというか、北川先生に失礼だが「うわ!なにそれ!もてなそう!」みたいなものも意外とある。恋愛ドラマを作るということは私たちが勝手に「高橋一生くんかっこいい・・・!あんなことさせたい!きゃっきゃっ!」みたいに考えることの延長線上にあるのかもしれない。

でも、このエッセイの中心に出てくる大学時代の北川悦吏子は、やっぱりもてそうというか、本人が書いているのになんとなくかわいらしくて、それなりにもてるんだろうな、というような気がする。女性のエッセイを書く方にありがちな、男性に対して辛辣でわがままと言うか、腹黒いところも赤裸々に厳しく書いているのに、それでもなんだか憎めないというか、そんな感じが出ている気がする。

まぁ実際、北川悦吏子がどんな大学生だったか、もてるのかもてないのか、そんなことはわからないし、それはどうでもいいのだけど、やはり、読み進めていくとエッセイを読むのは面白いな、と思う瞬間がある。

エッセイを読むことは、人の世界に触れることだ。それは、のめり込んで没頭してしまう場合もあるし、そっと触れて心温まる場合もある。でも最初は、なんとなく話を聞き流すように読んでいて、それでも気づいたらその世界に入っているものだ。聞き流したようなままずっと最後の方まで読んでいって、「ふーん、そうなんだ」くらいのこともあるが、それはそれで趣というか、らしい世界との触れ方だとおもう。

このエッセイは、中学の時、自分自身に近いなんて勝手に思いながら、熱中していたオーケンのエッセイとも違えば、遠いけどドキドキして憧れる坂本真綾のエッセイとも違った。インドを旅行すると行ったような、遥かに遠くの場所の話でもないけれど、北川悦吏子のエッセイは、自分とは遥かに遠い、でもこの世の中のどこかにあるところのお話を書いたエッセイのように思えた。それは、時代が今と微妙に離れているというのもあるのだろうけど、知っている東京の街などを書いているのに、やっぱり遠くに感じた。でも、こんな風に自分が普段感じない、接触しない、でも案外自分の近くにある、自分と違った世界を感じられる、体験できる、これはエッセイを読む楽しみの一つだなと思う。

そして、もし、この北川悦吏子の世界の中に私が出てくるとしたらどのようにでてくるだろうと考えた。こうなると北川悦吏子は現実の世界を文字にしているはずなのに、まるで空想の世界のようだけれど、私にはきっと、彼女と上手くやる男として出てくる隙間はないだろう。だからといってなんか残念な男の域にも乗れる気がしない。きっと「大学時代、きっと私のことを好きだった男の子がいた。」みたいな感じで出てくるんだろう。「でもその男の子とはなにかがあったわけじゃなくて、数回映画を見に行っただけなのだけど。」多分こんな感じだろうか。

私は、そんなことを考えると同時に思う。人には、それぞれきっと役割があるのだ。身の丈もあるのだ。私は「きっと私のことを好きだった男」で、友達のKくんは「私が、実は中学時代好きだった子」Wくんは「3ヶ月だけ付き合った子」みたいな感じ。そしてこのことは空想ってことじゃなくて、私が人生で出会う誰かの中で、私は「きっと私のことを好きだった男」なのだ。反対に切り取る世界が変われば、見え方も変わる。オーケンのエッセイみたいに考えて、私の視点でその女の子を見れば、彼女は「グミチョコの美甘子のような娘」かもしれない。そう考えると、私の友人の世界は、どんなのなんだろうと気になってくる。反対に、私の世界は何なのだろうとも思う。私はそんなことを考えながら、今日もエッセイを読んでいる。

神菜、頭をよくしてあげよう

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