世界の魔法について

それと、あとほんの少しのいくつか

【ドラマ】森下佳子「おんな城主直虎」 33話『嫌われ政次の一生』感想

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大河ドラマ史、いや、ドラマ史に残る傑作だと思う。まずタイトルが素晴らしい。例えば28話『死の帳面』が名前だけでなく「DEATH NOTE」(大場つぐみ小畑健)だったように、このドラマにおけるサブタイトルは物語の細部までを表している。しかも、この話の寿桂尼(浅丘ルリ子)によるデスノートから逃れるためには、一度自らで自らを殺さなければならない、というところまで元ネタ*1 をオマージュしていたのだから笑ってしまう。

その点を踏まえるならば、「嫌われ松子*2 が、苦しくも実は愛に満ちた一生を送ったように、今回の「嫌われ政次」というタイトルは必ずしもその真実を示すものではないだろう。影と光、嘘と本音、黒と白。コインの裏と表のように、視る方向によって解は異なる。同じく高橋一生主演の「カルテット」で坂元裕二が描いたテーマだが、森下佳子は今作で一貫してこの「視る方向によって解は異なる」というテーマを描き続けてきた。

おとわ「正解はございますか」

南渓和尚「皆正解じゃ。答えは一つとは限らんからのう。まだまだあるかも知れんぞう」 *3

 

囲碁のモチーフが絶妙だ。白の碁石は、政次(高橋一生)にとって光であり、太陽だ。白と黒は井伊と小野であり、光と影であるが、その陰は直虎(柴咲コウ)にとっては進むべき道を示す光であったり、寄り添う陽のようであるかもしれない。あるいは、政次を慕うなつ(山口紗弥加)にとっての白石は、太陽であっても見られたくない"お天道様"のようかもしれない。

 

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大河ドラマというのは面白いもので、誰もが放送前に彼の退場を知っている。その死を悼む準備を、心構えを、済ませて画面に臨んでいる。先週の32話に置いても、しつこいほどに”死亡フラグ”が描かれ、強烈な引きで終了するという大演出までされた。にも関わらず、今話の前半は思ったよりは平穏だ。束の間の休息、あるいは"最後の晩餐"か。それも半ばに最後の仕事に向かうところが、この作品の描いた政次像といったところであろうか。もしくは、高橋一生に踊らされる視聴者の心のようか。手の中には収まらない。*4 そして、政次に与えられているのは、選択のための時間なのだ。これは、多くの脚本家が、テレビドラマで提示してきた普遍的なテーマでもある。

「死ぬほど考えるの。それが後悔しないための、たった一つのやり方よ。」*5

 

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政次に迫られる選択は碁という形で示される。これまでの話でも幾度となく繰り返されてきた、不在の相手との対局であるが、もはやいまや、そこに碁盤すら不要である。囲碁のように答えは一つとは限らない。だが同時に、選択したからには必ずその答えが導かれる。悪手を打てば負け、虎松(寺田心)のように泣きをみる。それは、ここでも繰り返し表現される。「かような山猿に騙されるとは思っていなかっただろう?」は近藤(橋本じゅん)。木をとられ、族まで逃され……。井伊から不遇を受けてきた近藤氏。気賀の繁栄と近藤の不遇。*6 光と影、そして因果応報。すべて井伊が選択してきた答えなのだ。「すべては偶然でなく必然」である。必ずそこには選択があり、選択には必ず対価がついて回るのだ。*7

俺一人の首で済ますのが最も血が流れぬ。

(中略)

それこそが小野の本懐だからな。忌み嫌われ、井伊の仇となる。おそらく、私はこのために生まれてきたのだ。*8

ここで「俺一人の首で済ますのが最も血が流れぬ」と高橋一生に言わせることはもはや狙い過ぎの領域のような気もするが、丁寧な積み重ねがそれを緩和している。この話まで描かれてきた政次は完全にハリー・ポッターシリーズにおけるセルビス・スネイプだったが、ここへ来て自ら生命を犠牲にしたアルバス・ダンブルドアまで一人で請け負っしまった、と思った。まさにこのドラマでは、ひとりの人物が光と影をともに内包する。更には政次が「井伊を乗取って、罪人として裁かれる」という「ドラマと史実」という対比構造まで、このシーンは包み込んでしてしまう強度を持っている。

 

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初めて政次から打たれた白石。直虎に次の一手の選択が投げられたことを示すと同時に、龍雲丸(柳楽優弥)の「罪人として裁かれるってことだろ、悔しくないのかよ」という問いへの回答にもなっている。黒石(罪)でなく白石(無罪)であることは石を受け取ったものだけがわかっていれば良い。そこからの龍雲丸の台詞「井伊っていうのはあんたのことなんだよ!」まで。正に見事な脚本である。

あんたを守ることを選んだのは、あの人だ

(ここでも”選択”であるということがひたすら強調される。)

 

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直虎の打った黒石。衝撃的な「罪」を負うシーンだ。直虎の「地獄へ堕ちろ」の一言が示すまでもなく、31話で政次の負った罪の反復。両者の碁石が入れ替わったように、同時に二人の会話までが裏返る。放たれた言葉は全て真実で、全て嘘となる。地獄へ墜ちる政次。未来の失われた井伊。奸臣と忠臣。磔にされ、槍で突かれ、血を吐き倒れる政次の本懐(本当の心)は、刺したものだけが知っている。画面の白黒の対比構造に言及するまでもなく、これまでの大河ドラマにおいても、ほとんど描かれてこなかった、衝撃的な演出(なのではないだろうか)によって、黒と白の真実を見事に描ききってしまった。

余談だが、放送前に、政次の退場は否が応でも三谷幸喜新撰組!」(2003)においての、山南敬助(堺雅人)退場回『友の死』を想起させると話題になっていたが(偶然にもこちらも33話である)、友が友によって葬られるという構造まで同一である。

この最も残酷で、最も愛に満ちたシーンをテレビドラマにおいて表現できることに感動を覚える。「嫌われ松子の一生」が川尻松子という人物を通して人間讃歌を描いたように、小野但馬守政次という人物は、これ以上ない愛をもった演出で葬られた。そのことに最大の賛辞を贈りたい。

 

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(ラストカットに描かれた、光に満ちた部屋。)

 

白黒を

つけむと君を

ひとり待つ 

 

かん天伝う日ぞ

楽しからずや

 

 

 

*1:金子修介の映画版

*2:山田宗樹による小説(2003)。映画版(2006)の監督は中島哲也

*3:2話で、おとわ(直虎幼少期:新井美羽)が南渓和尚(小林薫)に問うやり取り。放送開始直前に「直虎男性説」が出てきた事自体、このドラマに対しては眉唾であったと言っていい

*4:史実の「死」に対し、忠臣、共闘、井伊の再興説とこちらもゆらゆらと逃げ惑う。そして龍雲丸による奪還計画。だがこちらも収まらず政次自ら身代わりになってしまった。

*5:木皿泉Q10

*6:小野氏忠臣説の裏の近藤氏の不遇。ここすらも対になっている。

*7:CLAMPxxxHOLiC

*8:小沢健二でいうところの"この線路を降りる"という選択。

【音楽】3月31日坂本真綾好きな曲ランキング

たまにはこういう意味のないエントリーも。

 

坂本真綾さんが好きです。特にここ数年は坂本真綾さんという人の音楽と一緒に生きてきました。彼女と彼女の音楽は私にとって時に宗教であり、時に哲学であり、生活であり、憧れであって、その日の天候や、季節や、体調や、仕事や、人間関係によって聴こえ方も響き方も違います。今日の私が好きな彼女の音楽と、明日の私が好きな彼女の音楽は違います。ここから並べるのは今日の私が好きな彼女の音楽です。それでは、行きましょう。

 

 
 
10.デコボコマーチ(隊列は君に続く) (21thシングル『モワザンワーズ』収録) 
デコボコマーチ(隊列は君に続く)

デコボコマーチ(隊列は君に続く)

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初めての恋は小鳥のように笑い 孤独はうつむいて

 

知りたかったことは 知りたくなかったことのいつも隣にいて 

双子のように 同じだけ愛してほしいと私に言った

 

 彼女の詞にある『孤独』というキーワード。けれど、その孤独を避けるのではなく、逃げるのではなく、坂本真綾は、他の色々なことと同じように向き合います。泣き虫もかなしみも喜びも、隊列組んで歩いていこうよって歌です。

 
 
9.eternal return (7thアルバム『You can't catch me』収録)
eternal return

eternal return

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『You can't catch me』の1曲目を飾る疾走感あふれるナンバー。この曲のキーワードは「諦めたいのに 何度も何度も手を伸ばす」というところ。

 

 

8.猫背(『シングルコレクション+ ミツバチ』収録)
猫背

猫背

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 作詞岩里祐穂×作曲菅野よう子×のゴールデンコンビによる名曲。個人的にチャットモンチーの「ツマサキ」と対な気持ちで聴いています。

 

 

7.ポケットを空にして(1stアルバム『グレープフルーツ』収録)
ポケットを空にして

ポケットを空にして

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 ライブのラスト定番の曲。私の人生のテーマ。

「風が変われば僕の道さえ少しはましになるだろう」って気持ちで生きています。

 

 
6.シンガーソングライター(8thアルバム『シンガーソングライター』収録)
シンガーソングライター

シンガーソングライター

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呼吸はメロディ かかとでリズムを それだけでもう音楽

 

フォロワーさんが歌うのを最近良く聴いたので、大好きになってしまいました。坂本真綾が好き、って言うと「声優さん?」みたいに言われることが多くて、勿論それは正しいのだけれども。私は彼女と歌というものの距離が、こんなふうに近いから、好きです。

 

 

5.うちゅうひこうしのうた(4thアルバム『少年アリス』収録)
うちゅうひこうしのうた

うちゅうひこうしのうた

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これも同じく最近好き。小さい頃から憧れている無形の世界っていうものがあるならば、それは例えば、一倉宏(うちゅうひこうしのうたの作詞者)の詞世界のようなものなんじゃないかと思います 。

 

 
4.Gift(『シングルコレクション+ハチポチ』収録)
Gift

Gift

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初期のナンバー。「ぼくらから夢奪えば さまよえる未来のクズになる」という一節が最近刺さりまくっています。

 

 

3.僕たちが恋をする理由(2ndミニアルバム『30minutes night flight』収録) 
僕たちが恋をする理由

僕たちが恋をする理由

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私は冬が好きです。それはオリオン星が見えるからかも知れませんし、風が冷たいからかもしれません。ともかく、冬の夜の下あるきながらこの曲を聴いていたら、なぜかふっと涙が出てきてしまいました。私が冬を好きなのは、寒くてとても寂しくなるからで、寂しいってってことは誰かのことを考えることで、そんなふうに一人で歩いている人たちは夜空を見上げながらめいめい誰かのこと考えながら、寂しく歩いています。だけど街には不釣り合いにクリスマスソングが流れていて、それがなおのこと寂しくさせていいです。冬が終わってしまいます。

そんなふうに街を歩いていると、なんだかそういうものに、とてつもなく敵わない気がするんですよね。私は坂本真綾坂本真綾である気高さがずっと好きです。

「君の哲学に触れるとき 一番好きな自分になる」というのは、本当にそうだなと思います。

 

 

2.I.D.(2ndアルバム『DIVE』収録)
I.D.

I.D.

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一番好きな曲です。(オールタイム)「I.D.」は彼女が自分の足で、小さくてあどけないけれど気高い一歩を、踏み出した曲だと思っています。私はこの詞を書いたときの彼女より長く生きているけれど、”こんなに自由で” ”こんなに確かな” 自分とまだ向き合えていません。すぐそこに居るのだけれど、まだあの空へと踏み出すには時間がかかるみたい。けれど、何かの節目に、いつもこの曲を聴いて、自分の足元を見つめ直しています。

 

 

1.Driving in the silence(3rdミニアルバム『Driving in the silence』収録) 
Driving in the silence

Driving in the silence

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君を好きになることは

自分を好きになること

自分を好きになることは

世界を好きになること

 

冬を歌った名盤、『Driving in the silence』の1曲目であり表題曲。「I.D.」も「eternal return」も好きなので1曲目が好きなのかな。この曲は、こんな歌い出しで始まります。私は自分をすきになれないので、もしかしたら、ちゃんと誰かを好きになったことはないのかも。この曲は、短い曲なのですが、この歌詞が、ここに連結します。

 

静寂を滑る ハンドルを握る

永遠に続く 孤独を握ってる

 

「君」を好きになって「世界」まで好きになっても、そこにあるのは「静寂」と「孤独」です。坂本真綾の詞には、いつも孤独がついて回ります。しかし彼女はやはり孤独を嫌いません。

 

でも隣にある

君の鼓動 細胞 存在

ただそこにいる

君の気配 輪郭 存在

 

先程の「僕たちが恋をする理由」と同じように、「孤独」の隣にあるのは悲しみなどではなく、「君の存在」なのです。冬を歌うアルバムがこの曲で幕を開けるのは素晴らしい。

 

 

ということで、今日の私の好きな曲を選んでみました。もう4月になります、冬も終わってしまいます。寂しい。そんな風に、また明日も坂本真綾を聞きます。

 

坂本真綾さん、お誕生日おめでとうございます。

 

 

【アート】初めてクラウドファンディングに参加してみました〜『ビデオアート展を開催したい!中嶋春陽の挑戦』について〜

 

先日、初めてクラウドファンディングに参加してみました!

 

クラウドファンディングと言えば、映画『この世界の片隅に』などでも話題*1になったけれども、何かを企画して、一人では資金が集まらないけれど、インターネットなどを通じて、みんなでお金を少しずつ出しあって、その企画を実現させようよ!という試みみたい。

そして、その企画が実現したら、出資者の人にリターンで恩返しをする、みたいな感じ。映画の製作委員会とかとほとんど一緒だけど、インターネットがあるから一般の人たちで、ちょっとずつお金を集めることが出来るようになって始まったってことかな。

何かの発明でも良いし、誰かの夢でもいいし、映画でも良いんだけど、それが実現したら、支援した人も少し幸せになれる(発明なら、利用できるしね)ので、素敵なことだと思います。

それで、そのクラウドファンディングってものの性質上、支援したからせっかくなので宣伝ブログを!って感じです。お暇なら読んでね。

 

 

それで!今回私が参加したのはこれ!

 

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ソロアーティストとして活動する中嶋春陽さんが、個展(ビデオアート展)を開こうという試み。

中嶋春陽さんの活動について少し説明しておくと、子役から今まで女優として活動していて、MOOSIC LABの『いいにおいのする映画』などに出演してた。それから昨年まではジュネス☆プリンセスというアイドルグループで歌っていた。あとミスiDなんかにも参加している。細かいことはクラウドファンディングの詳細などを是非観て欲しいです。動画などもあります。

ビデオアート展を開催したい!中嶋春陽の挑戦 ~今までの私とこれからの私を新しい形で伝えたい~ | GREEN FUNDING by T-SITE

 

 

私が彼女を応援するようになったのは2年前の梅雨ごろのことで、彼女の写真がCHEERZという写真投稿アプリに投稿されており(現在は参加していない)「あれ?どこかで観たことある子だ!」となって引き込まれました。子役のとき、『スクール!』というテレビドラマに出ていたんですね。高校生の時観ていたドラマで、結構好きだった。

スクール!! DVD-BOX

スクール!! DVD-BOX

 

 

 

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 (多分この写真を見たと思うんだな)

 

 

 

その後、彼女のTwitterをフォローしたり、ブログを読むようになったりしたのだけれども、まず惹かれたのは彼女の言葉と世界だった。彼女は歌を歌っていたり、ダンスを踊っていたりして、それも勿論とても素敵で、すごく好きだったのだけれども、彼女は当時15歳の年齢ながら(こういうのは年齢の問題じゃないような気もするけど)、確固たる自分の世界を持っているように見えた。それがなんだかとても素敵だった。歌やダンスは、なんというかその世界を中から外に出すためのものにも見えた。そういうことはいまいち説明しすぎるのも野暮なので*2、彼女のTwitterやブログを読んでもらえれば伝わると思うんだけど、彼女が頭のなかで想像しているものをツイッターとかで聞くのはとても面白かったし、彼女が大好きな家紋の話を聞くのも最高だった。(家紋!)彼女が聞く音楽も、誰に選ばされたって感じじゃなくて凄くかっこよかった。自分ってものがあるっていうのだろうか。子供の頃星の王子さまとかリンドグレーンみたいな児童文学を読んだこととか、一倉宏の歌詞の世界とか、そんなワクワクを思い出した。

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

 

 

うちゅうひこうしのうた

うちゅうひこうしのうた

 

 

 

そして、今回のクラウドファンディングのテーマにもつながるのだけれど、私は彼女の描く絵に凄く惹かれた。アイドル時代の彼女は、当時迫っていたワンマンライブに向けて、2ヶ月前から一日一回必ずブログを更新していた。そして、そこには彼女の言葉とともに、必ず彼女の描いた絵が一緒に貼られていた。

 

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(全てインスタより 画像ごとにリンクついてます)

 

例えば、あと8日のイラストは、歌っていた楽曲をイメージしたものらしく

 

「 キミにSE・NO・BI 」

グッモーニング♪でワクワクして始まって、
グッイブニング♪で寂しさ、
左から右にかけて1日が終わるイメージ。

教科書にない出来事も~♪
をピンクと元気な緑とチョコカラーで
恋!要素を♪

制服脱いで着替えたら~♪
制服を着ている時、脱いでる時。

君のそばへ走るよ~♪
で、駆け寄る感じ♪

ハルにとっては、少し前の感覚の曲だから
中学生の印象。でね、セーラー服。

きみせの、ジュネ☆プリ最初の曲
まさに、ジュネ☆プリの
若さ、元気さ!みたいな曲♪
この曲も育ってきてるはず!

あらためて、これからも
きみせのをよろしくね!!!

 (そしてカウントダウンイラスト♪ハル♡(後8日) / ジュネス☆プリンセス オフィシャルブログ)

 

歌を歌っているときの気持ちとか、感情とか、そういうのをイラストというものに乗せているのがとても新鮮で、面白くて、凄く感心していたし、同時に、こういうのって、もっと広いところに伝わっていって欲しいなー、って思っていた。決して自分には表現できないことだし、他の人でも、彼女が思っていることを表現することは出来ないので、彼女の絵を見ることでしか、その気持はないわけですね。ブログに書いてある解説を見てもよくわかんなかったりするんだけど、そのよくわかんないことが、面白いなー、すげーなーって感じで見ていました。(語彙)

 

 

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(例えば私は、モーリス・センダック佐々木マキさんの絵が好きなのですけど、センダックの世界はセンダックを観ることでしか感じられない)

 

 

 

そして中嶋春陽さんは今、ソロとして活動しているのですが、そこで彼女が観せてくれるイラストなども、とても素敵なものが多くて。

 

www.instagram.com

www.instagram.com

www.instagram.com

(写真に絵というアイディアはアイドルをやっていたからこそ出たというか、ちょっと凄い) 

 

 

 

要するに(最後に)

彼女は今も歌を歌っているのだけれど、観ている感じでは絵と歌うことが結びつくのも自然なことで。

中嶋春陽さんの絵も、歌もだけれど、彼女の表現するものがもっと観たくてたまらないし、単純に個展に足を運びたい!あと、その個展をきっかけに色んな人に彼女の表現するものが伝わっていくと良いなと思ってクラウドファンディングに参加しました。もっと大きな場所で表現するきっかけにもなってほしいなって個人的には思います。

絵は勿論そうだけど、クラウドファンディングとかに頼らずとももっと勝手に広がっていくべきだと思ったりもして。あと、映像作品のなかの彼女もとても素敵なので、(もし市川準監督あたりがご存命なら真っ先にカメラに収めていたと思う)『いいにおいのする映画』などもぜひ観てみてほしい。単純にすごく美少女だし映像映えするので、もっと映画に出てほしいな!とにかく面白くて才能溢れる人なので、色々な人に伝えたいです。*3

ともかく。中嶋春陽さんの個展を是非観たいと私は感じるし、是非こういうものがあるよ、こういう人がいるよ、って伝えたいなと思ってブログを書きました。(あと自分の日記としてね)

もう目標金額には達しているし、支援も3000円からのコースなので、いきなり支援ってわけにも行かないと思いますが、こんな人がいるのね!って紹介のブログでした。イラストとか観てると素敵な気持ちになるよ。

 

 

 

 

あと今日のテーマソング。


YUKI ♪プリズム Prism 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ドラマ】坂元裕二「カルテット」1章、2章 感想

私は英語が苦手でした。「live」は住む、でも「live」だけじゃ「生きる」とか、「ライブ放送」という意味になってしまって、「live in」としないと「住む」という意味にはなりません。中学生の私にはその辺りがイマイチピンと来ませんでした。

今なら、すんなりわかります。「住む」ことは「生きる」ということだからです。正確に言うと「〜に生きる」なのかな。
最初、どうして坂元裕二は「カルテット」で男女が一緒に住む、というテラスハウス的なことをしたのかよくわかりませんでした。けれど、今はわかります。一緒に住むということは、一緒に生きるということとほとんど同義だからです。
 
 
 
 
「カルテット」現在、第1章、第2章が終わり、最終幕が開けましたが、野球の延長もあり、私はまだ最新の8話を観ていません。せっかくなので、7話まで、つまり第1章、第2章の「住む」ということ、「〜に生きる」の「〜」が「カルテット」になるまでに関して、私なりの感想、思ったことを書いておきたいと思います。*1
 
 
 
 
一緒に住むということ
「唐揚げにレモンかけますか?」この問いがでるのは、仕事の場でもなければ、遊びの場でもありません。食事の場です。食べることは、生きることです。
一緒に生活をするということは、色んなハードルを越えることです。人と人との間には、距離があります。これを縮めるために、人は努力します。様々な方法を使います。
例えば、恋をします。ごっこ遊びのようなことをします。アルプス一万尺をします。あるいは、料理を作ります。タラのムニエルを作ります。部屋に歯ブラシを置きます。
距離を縮めましょう、という約束が結婚なのかもしれません。二人の間のちょうどいい距離が違ったから離婚するのかもしれません。
距離を縮める、ハードルを越える手段の一つが、住むことです。しかも、その距離を半ば強引に飛び越えてしまおうという手段です。
もし、飲み会の場で、から揚げにレモンかけられてしまったら。「ああ……」って声にならない叫びは出ても、上下関係や付き合いもあるし咎められない。もし咎めたら、なんか変な空気になるし、場の雰囲気を壊してしまうかもしれません。仲が良い人なら「やめろよー」「すまんすまん」で済むことでも、先輩になんか言えません。
けれど、一緒に住むと「レモンかけないで」と言わないと、次も、その次もかけられることになります。これから一緒に暮らしていくのに、趣味に合わない「から揚げにレモンをかける」という行為をいつまでも続けられることになります。だから「距離を縮める」という段階を飛び越えて言います「レモンかけないでください」
こうしてその住む場所には、「勝手にレモンをかけない」というルールが出来ます*2
 
 
段階を一気に飛び越えて、でもそのままじゃめちゃくちゃになってしまうから、お互いを守るためのルールを作ります。あるいは、もっと近づくためのルールを作ります。火曜日の「ハグの日」のように、はっきりと言葉にされたルールもあれば、いつの間にか出来ているルールもあります。ゴミを捨てる人は勝手に決まってて、いつも同じ人だったりします。他の人は部屋がゴミで溢れたら困るのに、自分ではゴミを捨てない人。なんで私が、と思いながら、毎回ゴミを捨てる人。
対照的に見える二人は、好きな食べ物も寝る時間も違います。けれど、同じ洗濯機で下着を洗います。同じシャンプーを使います。
同じ洗濯機を使う人は、似てきます。声は、一緒に小さくなります。*3

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一緒に住むことは、ルールを作ること
同じところで生きていく人たちは、新たにみんなとは違うルールを作ることもできます。社会のルールでは朝起きたら学校に行かなきゃいけないけれど、お母さんが「今日は、学校休もっか」と言ったら、学校を休むことができます。父親が死んだら娘は病院に行かなくちゃ行けないけれど、「行かなくていいよ」と言われたら病院に行かないで家に帰れます。
 
ルールを作るということは同時に、我慢する人を作ることです。
旧い靴下から、新しい靴下に変えるタイミングはいつでしょうか。穴が空いたら?ゴムが緩んだら?三ヶ月履いたら?それとも一度履いたら、使い捨て?
「えっ、その靴下、まだ履けるよ、捨てちゃうの?」
「あ、でも、これもう10回履いたやつだし」
「でも、まだ綺麗じゃない」
「でもそのうち穴が開くよ」
「穴なんて、ふさいであげるよ」
これが価値観の違いです。
奥さんは靴下がボロボロになるまで履いて、夫さんは10回で捨てる。それが本来、お互いの価値観を尊重しあうということです。だけど、そんなふうに暮らしている人は多くないし、その価値観を尊重することは何か別の価値観を尊重しないことかもしれない。2人の折り合いがつくところでルールを決めるか、片方が飲み込んでルールにします。こうやって一方は我慢して、もう一方は我慢させていることを気付かずに、あるいはそれとは違った方法でやり過ごして、生活していきます。
 
 
カルテットに住むことを選択した人たち
カルテットに集まった4人は、皆、以前までの生活を辞め、軽井沢という特殊な土地で、カルテットとしてやらなくてはならない「演奏する」ことと同時に「住む」ことを始めました。「楽器はどれくらいできるの?」とか「得意な曲は?」とか(わかりませんけど)、本来ならカルテットとして重要なことを尋ねる前に、別府くんは住む軽井沢について説明をします。
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彼らは、新しく「住む」ということを選択した人、あるいはせざるをしなかった人でした。家森とすずめは住む場所を追われた人でした。すずめは前の職場のルールで、「出ていけ」と書かれ、彼女のルールでそれが100枚程たまると出て行った。家森は前の家族のルールに我慢できなくなって、あるいは我慢してもらえなくなって、紙に名前を書いて"地獄”から抜け出しました。

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別府は、前の住む場所に居場所がなかったことも想像できますし、読み取れますが、そのことよりも、むしろ距離を飛び越えるために「住む」という手段を選択した人として描かれています。住むことは一気にハードルを越えることですから、真紀との距離を縮めたくて、選択をした人です。
 
真紀はどうでしよう。真紀は1話で「私もう、帰るところないんです」と言い、買ってきたカーテンを家にかけました。こうして、とりあえずカルテットのメンバー全員が、「一緒に住む」ことを選択しました。
けれど、「カルテット」はまだ、仮の一緒に住むメンバーです。皆がどこかに、生活の欠片を置いてきたままになっています。
すずめの欠片は納骨堂に置いたままにしてきているし、家森は息子のことが常に気にかかっています。*4
 
カルテットの一章は、その移動しきれていない想いのようなものが、少しづつ住むということを通して、移動するというか、解消されて、一緒に住む共同住人として、カルテットメンバーとして、一つになっていく過程が描かれていました。すずめがいう聞き慣れない「みぞみぞする」という言葉は、感覚として4人の共通言語になっていきました。

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1章の最後で、この生活を一度ぶち壊したのがすずめではなく、真紀でもなく、家森のトラブルや別府の愛情でもなく、
有朱だったのは、その生活の中に居ない人で、同じシャンプーを使っていない人だったからです。有朱は、誰かと何かを共有できない人です。他人と同じルールを作れない人です。壊してしまう人です。だから、あそこで壊すのは有朱でなければならなかったわけです。*5

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1話で車の前で転んだ3人、マンションで転んだ真紀
*6
さて、すずめや家森を縛るものが軽くなっていくなか、真紀には残っていました。真紀さんだけ住むということの一部を東京のマンションに置いたままにされているのでした。
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夫さん(幹生)が戻ってきたことで、脱いだ靴下の枷がなくなりました。

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幹生は真紀と自然に結ばれた「ルール」の中で我慢して、妥協して、耐え忍んで逃げ出してしまった人でした。
夫婦であろうと、価値観の違いは存在するわけで、少なからず妥協点を見つけてやっていくしかないわけで。
反対に、真紀さんはその妥協点を楽しんで、惹かれて生きていました。
ここは、坂元裕二の優しさと、オマージュだったと思います。
 
 
こんなに面白くないもの、面白いって言うなんて、
面白い人だなって
よくわからなくて楽しかったの
(カルテット 7話)

 

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君のオススメに面白いものは
一つもなかった
それでもついていきたいと思った
楽しい日曜日
大森靖子「愛してる.com」
 

 

 

4人で「カルテット」に住む
1話で真紀は夫婦を「別れられる家族」と言いました。
その通り、真紀さんは幹生と家族であることを辞めました。

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(でも、一緒に生きていたからできること。)

 
けれど、夫婦以外の家族も同じなのかもしれない。すずめはお父さんに会いませんでした。家森は息子と住めませんでした。まだ描ききっていない別府の家族ことも気になります。もしかしたら別れられない家族なんて存在しないのかも。
真紀が詩集を暖炉に放り込んで、枷が無くなり、カルテットと住むところを選択したところで、2章は終わります。素晴らしい終わり方だと思います。*7
さて、このあと、最終幕、どんなまさかが待っているのか。これからどう生きていく様子が描かれるのでしょうか。
大分夜も遅くなってしまったので、最新話、また明日の楽しみにしたいと思います。
 

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(脱がれたもう一足の靴下。ここから始まりここに戻ってくる話だったように思う。)*8

 
 
 
 
 
 
 
 
 

*1:本当は5話くらいで書きたかったので、賞味期限切れ感が否めません

*2:だから真紀さんは「夫婦じゃなかったんだ」と言います

*3:一緒に生活したからお互い小さくなったと思って書いてたんですけど、お互い小さいから一緒になったみたいですね。

*4:別府は音楽家の家族としての別府なのだろうけど、いまいちそこを理解できていない。彼だけ演奏前のルーティーンがわからない

*5:住む人のルールを、住まない人のルールで壊された状況があったわけですが、それ自体は有耶無耶にされてしまいました……。ここは大した問題でなく、もう描かないだろう

*6:関係ないかもしれません。

*7:「住む」と言う意味の生きるではなく、ただ単純に「生きていく」という意味では、当て振りを選択したのも真紀だった

*8:靴下を足で脱いだり、ゆるい靴下を履いていたり。これって住むまでわからない価値観の違いで、住んで受け入れることのように思う

【音楽】2016年年間ベストアルバム

【音楽】年間ベストアルバムの季節がやってきました。

ongakudaisukiclub.hateblo.jp

 

私は、年間ベストは、作品の評価というより、その年の記憶であり、私がその一年どのように生きてきたかの記録のようなものだと思っています。私の個人的な思いや、音楽とともに何を感じたか、どのように生きてきたかといったような感傷のようなもののまとめであると思います。数年後振り返ったとき、私はこんな音楽が好きだったな、こんな音楽を聞きながら、色々なことを考えていたな、と思い返せるものだったら素敵だなと感じています。

今年はたくさんの素晴らしい音楽に出会えました。いいアルバム多くない?もう少し絞りたかったのですが、大好きなものは全部載せたくなったので、載せることにしました。特に今年はアイドルのアルバムが豊作だったように思います。単純に曲のクオリティが良いアイドルの流行りであるような気もする。10位以降はもう順番適当だったりもする(集計もないしね)けど、とりあえず選んでみました!

 

 

 

 

30.おやすみホログラム『2』

2 (ツー)

 

 

29.ミツメ『A Long Day』

A Long Day

 

 

28.冨田ラボ『SUPERFIVE』

SUPERFINE

 

 

27.くるり琥珀色の街、上海蟹の朝』

琥珀色の街、上海蟹の朝(初回限定盤・CD+Bonus CD)

 

 

26.Perfume『COSMIC EXPLORER』

COSMIC EXPLORER

 

 

25.青葉市子『マホロバシヤ』

マホロボシヤ(CD)

 

 

24.amiinAAvalon

 

 

23.never young beach『fam fam』

fam fam

 

 

22.水曜日のカンパネラUMA

UMA <通常盤>

 

 

21.安藤裕子『頂きもの』

頂き物(CD+DVD)

 

 

20.Galilo Galilei『Sea and The Darkness

Sea and The Darkness(初回生産限定盤)(DVD付)

 

 

19.寺嶋由芙『わたしになる』

 

 

18.わーすた『THE WORLD STANDARD』

 

 

17.岡村靖幸『幸福』

幸福

 

 

16.上白石萌音『chouchou』

 

 

15.サニーデイサービス『Dance to you』

DANCE TO YOU

 

 

14.ふくろうず『だって、私たちエバーグリーン』

だって、あたしたちエバーグリーン

 

 

13.Negicco『ティー・フォー・スリー』

ティー・フォー・スリー

 

 

12.Laika Came Back『Camefirms』 

 

 

11.ハンバートハンバート『FOLK』

 

 

10.RYUTist日本海夕日ライン』

 

 

9.中村一義海賊盤

海賊盤 [初回限定盤(CD+DVD)]

 

 

8.BiSH『KILLER BiSH』

 

 

7.宇多田ヒカル『Fantôme』

Fantôme

 

 

6.Cocco『アダンバレエ』

アダンバレエ (通常盤)

 

 

5.Sora tob sakanaSora tob sakana

sora tob sakana

 

 

4.AL『心の中の色紙』

心の中の色紙

 

 

3.イロメガネ『37.2℃』

37.2℃

 

 

2.アイドルネッサンス『アワー・ソングス』

アワー・ソングス

 

 

1.きのこ帝国『愛のゆくえ』

愛のゆくえ(初回限定盤)(DVD付)

 

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【音楽】私が見てない90年代

1990年代の好きなアルバム50枚を選ぶのが流行っているみたいなので、私もやってみました。

ongakudaisukiclub.hateblo.jp

私は1990年代生まれなので、選んだアルバムたちをリアルタイムで聴くためには少し幼すぎました。ここで選んだアルバムたちは、音楽を好きになったあとで、もしかしたら2010年代に入ったくらいになってやっと聴いたアルバムたちです。まだ一桁台の年齢の私は、シングルをまとめたMDか、父親の部屋から流れる旧い洋楽ばかりを聴いていて、これから並べるようなアルバムたちを聞く機会なんて無かった。当時の空気は勿論わからないし、何かを見て掘るわけですから、このリストは偏っているものになっていると思います。

偏っているかもしれないけれど、きっと悪いものじゃないと思います。音楽を掘って聴くようになって、90年代の音楽を聴いて、80年代や70年代の音楽を聴いて、60年代の音楽までたどり着いたけれど、結局私が落ち着いたところは90年代でした。勿論今の2010年代の音楽も好きだし、2000年代は日常的に音楽が流れていて意識していたけど、私は私が生まれた90年代のこの音楽がいちばん好きです。学校の休み時間や放課後、聴いていたのはこの時代の音楽でした。

90年代は見ていないんですけど、90年代の音楽が大好きな人のリストなので、お暇なら見てください。このリストは殆どは他の人の選んだものと同じかもしれないけど、少しだけ違う。私も皆さんのが見たいです。90年代を知っている人、知らない人、皆さんのも教えて下さい。

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【雑記】他人と歩く、ということ

人は旅に出る。人は旅行をする。

もしも休みが貰えれば、ちょっとヨーロッパにも行ってみようか。
 
私は海外旅行をしたことがないのだけれど、海外旅行というものを、羨ましく思っている。
「パリの街で、〜に入るのが日課だった」みたいな、海外旅行やホームステイ、留学などのことを思い返したツイートを見ると、とても素敵だな、と胸がきゅーっとする。
 
旅をすること、とは記録を残すことだと思う。
パリの街並み、ハワイの海、沖縄の海、京都の街並み、大阪の通天閣……。
今の時代、どんな場所も行かなくてもすぐに調べることができるし、どんな場所も知識だけなら、行った人よりも深くつけることが可能かもしれない。VRなどがこれから発展したら、行かなくても体験が出来るようになるかもしれない。
でも、旅に行くと、その街は、知らない街から、行ったことがある街へと変わる。それは、その街に初めて行った時や、体験したこと、感じた時の記憶を残すということである。
 
例えば一度パリに行ってしまえば、二回目に訪れた時、初めて訪れた時のことを思い出す。はじめての海外で不安だったこと。道もわからなくなって言葉も通じなくて不安だったけれど、なんとか身振り手振りで伝えたら、伝わったこと。その後に食べた夜ごはんに、信じられないくらい感動したこと。再びその街を歩いたときに、その時の感情が、その時の空気やにおいと共に思い出される。それは、その街に記録を残すということだ。
 
私はまだ海外に行ったことがないから、旅ものエッセイを読んで、気を紛らわせている。行けば良いのにね。
 

 

 

 

from everywhere. (星海社文庫)

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特に海外旅行などの強いインパクトを持つ、文化的、物理的にも距離の離れた場所へ行く旅行は、嫌でも街に記録を残す。国内旅行でも、旅の中で特殊な経験や体験をしたり、感じたことがあれば、それはしっかりと記録になる。けれど、普段歩いている街や、駅や、道は記録になりにくい。その街を離れてしまった時に、大きな時間の集合体として、記憶に思い出されるだけだ。
でもそれはひとりで歩いた場合で、もしかしたら平凡な道や街でも、「他人と歩く」ということは、それが例えば散歩や小旅行だったとしても記録に残す、ということになるのかもしれないと思ったりもする。
 
浮間舟渡という街がある。赤羽の隣にある、ギリギリ東京都、ギリギリ埼玉ではないところにある街だ。とても退屈していた高校生の私とその友人の鈴木くんは、ある休みの日にちょっとどこかへ行こう、と言って向かう先も決めずに集まった。そして都区内きっぷというのを買った。そのきっぷは、東京都のJR線ならどこでもそのきっぷだけでいけるというものだった。北千住、赤羽、蒲田、新橋、渋谷、県境や路線の境として、印刷されてある駅の名前。なんとなく知っている駅の名前たちの中に、浮間舟渡、彼はひとり異質な空気を醸し出しながらそこにいた。
鈴木くんが「なんて読むの?浮間舟渡?……ってどこ?」と言った。そうして私たちの行き先は決まった。
到着した浮間舟渡という街は、思い入れさえなければ、特筆することのない街だった。江戸川沿いに、団地が続いている。駅の近くにある公園に入ったら、何故か風車が立っていた。やることも特にないので、そのあたりを歩き何枚か写真を撮った。その後はどうでもいい話をしながら、河川敷をずーっと歩いていた。
浮間舟渡という街が、それほど魅力的な街かどうかは私にはわからない。けれど、鈴木くんが「浮間舟渡ってどこ?」と行った瞬間から、その街は私にとっては名前のない街ではなくなった。その街で風車を見てから、私の中には浮間舟渡の記録が残った。そのあたりを電車で通るだけで私はその散歩のことを思い出す。
 
もう少し普通の街でもいいのだ。私にとっては有楽町と京葉線東京駅のあたり、東京国際フォーラム付近のあたりは、初詣をするために待ち合わせをした場所だ。九段下駅のまわりの道は、ファミレスで打ち合わせをしたあと、なにもまとまらないでぐるぐると歩いた道だ。誰かと一緒に行った場所は、記録になる。他人と歩くということは、記録を残すということだ。その人との記憶や、思い出やにおいを残すということだ。初めての恋人と行った喫茶店。サークルのあと、何故かお酒を飲んで歩いた駅までの道と駅からの道。中学生の頃、何故かそこでずっと止まっていた歩道橋の上。恋人にふられたなんでもないチェーンの居酒屋。他人と歩くということは、名前のない場所を減らしていくことだ。また行きたい場所や、行きたくない場所を増やすことだ。行くたびに何かを思い出す場所を増やすことだ。全部が特別な場所になっていく。知らない場所が減っていく。これからもそうやって生きていくのだと思う。

 

 

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

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