世界の魔法について

それと、あとほんの少しのいくつか

【音楽】2016年年間ベストアルバム

【音楽】年間ベストアルバムの季節がやってきました。

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私は、年間ベストは、作品の評価というより、その年の記憶であり、私がその一年どのように生きてきたかの記録のようなものだと思っています。私の個人的な思いや、音楽とともに何を感じたか、どのように生きてきたかといったような感傷のようなもののまとめであると思います。数年後振り返ったとき、私はこんな音楽が好きだったな、こんな音楽を聞きながら、色々なことを考えていたな、と思い返せるものだったら素敵だなと感じています。

今年はたくさんの素晴らしい音楽に出会えました。いいアルバム多くない?もう少し絞りたかったのですが、大好きなものは全部載せたくなったので、載せることにしました。特に今年はアイドルのアルバムが豊作だったように思います。単純に曲のクオリティが良いアイドルの流行りであるような気もする。10位以降はもう順番適当だったりもする(集計もないしね)けど、とりあえず選んでみました!

 

 

 

 

30.おやすみホログラム『2』

2 (ツー)

 

 

29.ミツメ『A Long Day』

A Long Day

 

 

28.冨田ラボ『SUPERFIVE』

SUPERFINE

 

 

27.くるり琥珀色の街、上海蟹の朝』

琥珀色の街、上海蟹の朝(初回限定盤・CD+Bonus CD)

 

 

26.Perfume『COSMIC EXPLORER』

COSMIC EXPLORER

 

 

25.青葉市子『マホロバシヤ』

マホロボシヤ(CD)

 

 

24.amiinAAvalon

 

 

23.never young beach『fam fam』

fam fam

 

 

22.水曜日のカンパネラUMA

UMA <通常盤>

 

 

21.安藤裕子『頂きもの』

頂き物(CD+DVD)

 

 

20.Galilo Galilei『Sea and The Darkness

Sea and The Darkness(初回生産限定盤)(DVD付)

 

 

19.寺嶋由芙『わたしになる』

 

 

18.わーすた『THE WORLD STANDARD』

 

 

17.岡村靖幸『幸福』

幸福

 

 

16.上白石萌音『chouchou』

 

 

15.サニーデイサービス『Dance to you』

DANCE TO YOU

 

 

14.ふくろうず『だって、私たちエバーグリーン』

だって、あたしたちエバーグリーン

 

 

13.Negicco『ティー・フォー・スリー』

ティー・フォー・スリー

 

 

12.Laika Came Back『Camefirms』 

 

 

11.ハンバートハンバート『FOLK』

 

 

10.RYUTist日本海夕日ライン』

 

 

9.中村一義海賊盤

海賊盤 [初回限定盤(CD+DVD)]

 

 

8.BiSH『KILLER BiSH』

 

 

7.宇多田ヒカル『Fantôme』

Fantôme

 

 

6.Cocco『アダンバレエ』

アダンバレエ (通常盤)

 

 

5.Sora tob sakanaSora tob sakana

sora tob sakana

 

 

4.AL『心の中の色紙』

心の中の色紙

 

 

3.イロメガネ『37.2℃』

37.2℃

 

 

2.アイドルネッサンス『アワー・ソングス』

アワー・ソングス

 

 

1.きのこ帝国『愛のゆくえ』

愛のゆくえ(初回限定盤)(DVD付)

 

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【音楽】私が見てない90年代

1990年代の好きなアルバム50枚を選ぶのが流行っているみたいなので、私もやってみました。

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私は1990年代生まれなので、選んだアルバムたちをリアルタイムで聴くためには少し幼すぎました。ここで選んだアルバムたちは、音楽を好きになったあとで、もしかしたら2010年代に入ったくらいになってやっと聴いたアルバムたちです。まだ一桁台の年齢の私は、シングルをまとめたMDか、父親の部屋から流れる旧い洋楽ばかりを聴いていて、これから並べるようなアルバムたちを聞く機会なんて無かった。当時の空気は勿論わからないし、何かを見て掘るわけですから、このリストは偏っているものになっていると思います。

偏っているかもしれないけれど、きっと悪いものじゃないと思います。音楽を掘って聴くようになって、90年代の音楽を聴いて、80年代や70年代の音楽を聴いて、60年代の音楽までたどり着いたけれど、結局私が落ち着いたところは90年代でした。勿論今の2010年代の音楽も好きだし、2000年代は日常的に音楽が流れていて意識していたけど、私は私が生まれた90年代のこの音楽がいちばん好きです。学校の休み時間や放課後、聴いていたのはこの時代の音楽でした。

90年代は見ていないんですけど、90年代の音楽が大好きな人のリストなので、お暇なら見てください。このリストは殆どは他の人の選んだものと同じかもしれないけど、少しだけ違う。私も皆さんのが見たいです。90年代を知っている人、知らない人、皆さんのも教えて下さい。

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【雑記】他人と歩く、ということ

人は旅に出る。人は旅行をする。

もしも休みが貰えれば、ちょっとヨーロッパにも行ってみようか。
 
私は海外旅行をしたことがないのだけれど、海外旅行というものを、羨ましく思っている。
「パリの街で、〜に入るのが日課だった」みたいな、海外旅行やホームステイ、留学などのことを思い返したツイートを見ると、とても素敵だな、と胸がきゅーっとする。
 
旅をすること、とは記録を残すことだと思う。
パリの街並み、ハワイの海、沖縄の海、京都の街並み、大阪の通天閣……。
今の時代、どんな場所も行かなくてもすぐに調べることができるし、どんな場所も知識だけなら、行った人よりも深くつけることが可能かもしれない。VRなどがこれから発展したら、行かなくても体験が出来るようになるかもしれない。
でも、旅に行くと、その街は、知らない街から、行ったことがある街へと変わる。それは、その街に初めて行った時や、体験したこと、感じた時の記憶を残すということである。
 
例えば一度パリに行ってしまえば、二回目に訪れた時、初めて訪れた時のことを思い出す。はじめての海外で不安だったこと。道もわからなくなって言葉も通じなくて不安だったけれど、なんとか身振り手振りで伝えたら、伝わったこと。その後に食べた夜ごはんに、信じられないくらい感動したこと。再びその街を歩いたときに、その時の感情が、その時の空気やにおいと共に思い出される。それは、その街に記録を残すということだ。
 
私はまだ海外に行ったことがないから、旅ものエッセイを読んで、気を紛らわせている。行けば良いのにね。
 

 

 

 

from everywhere. (星海社文庫)

from everywhere. (星海社文庫)

 

 

 

 

 
特に海外旅行などの強いインパクトを持つ、文化的、物理的にも距離の離れた場所へ行く旅行は、嫌でも街に記録を残す。国内旅行でも、旅の中で特殊な経験や体験をしたり、感じたことがあれば、それはしっかりと記録になる。けれど、普段歩いている街や、駅や、道は記録になりにくい。その街を離れてしまった時に、大きな時間の集合体として、記憶に思い出されるだけだ。
でもそれはひとりで歩いた場合で、もしかしたら平凡な道や街でも、「他人と歩く」ということは、それが例えば散歩や小旅行だったとしても記録に残す、ということになるのかもしれないと思ったりもする。
 
浮間舟渡という街がある。赤羽の隣にある、ギリギリ東京都、ギリギリ埼玉ではないところにある街だ。とても退屈していた高校生の私とその友人の鈴木くんは、ある休みの日にちょっとどこかへ行こう、と言って向かう先も決めずに集まった。そして都区内きっぷというのを買った。そのきっぷは、東京都のJR線ならどこでもそのきっぷだけでいけるというものだった。北千住、赤羽、蒲田、新橋、渋谷、県境や路線の境として、印刷されてある駅の名前。なんとなく知っている駅の名前たちの中に、浮間舟渡、彼はひとり異質な空気を醸し出しながらそこにいた。
鈴木くんが「なんて読むの?浮間舟渡?……ってどこ?」と言った。そうして私たちの行き先は決まった。
到着した浮間舟渡という街は、思い入れさえなければ、特筆することのない街だった。江戸川沿いに、団地が続いている。駅の近くにある公園に入ったら、何故か風車が立っていた。やることも特にないので、そのあたりを歩き何枚か写真を撮った。その後はどうでもいい話をしながら、河川敷をずーっと歩いていた。
浮間舟渡という街が、それほど魅力的な街かどうかは私にはわからない。けれど、鈴木くんが「浮間舟渡ってどこ?」と行った瞬間から、その街は私にとっては名前のない街ではなくなった。その街で風車を見てから、私の中には浮間舟渡の記録が残った。そのあたりを電車で通るだけで私はその散歩のことを思い出す。
 
もう少し普通の街でもいいのだ。私にとっては有楽町と京葉線東京駅のあたり、東京国際フォーラム付近のあたりは、初詣をするために待ち合わせをした場所だ。九段下駅のまわりの道は、ファミレスで打ち合わせをしたあと、なにもまとまらないでぐるぐると歩いた道だ。誰かと一緒に行った場所は、記録になる。他人と歩くということは、記録を残すということだ。その人との記憶や、思い出やにおいを残すということだ。初めての恋人と行った喫茶店。サークルのあと、何故かお酒を飲んで歩いた駅までの道と駅からの道。中学生の頃、何故かそこでずっと止まっていた歩道橋の上。恋人にふられたなんでもないチェーンの居酒屋。他人と歩くということは、名前のない場所を減らしていくことだ。また行きたい場所や、行きたくない場所を増やすことだ。行くたびに何かを思い出す場所を増やすことだ。全部が特別な場所になっていく。知らない場所が減っていく。これからもそうやって生きていくのだと思う。

 

 

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 

 

 

【音楽】最近聴いているもの①

2016年のいいところは、2016年の音楽も1990年の音楽も聴けることだと思います。年間ベストなんてやっていたけど、別にその年のばっかり聴かなくても良い音楽沢山あるからディグる作業も楽しくやっています。こういう私の備忘録もブログにしておこうかと。

 

アルバム

TIME TO GO - RIP SLYME 
Time To Go

Time To Go

 

youtu.be

夏になると毎年聴いているけど、ベストと近年のアルバムしか聴いてなかったんですよね。メロウって言葉を覚えたんですけど、メロウってまさにRIPじゃん!って思ってます。
 
 
 
THE SWINGIN' SIXTIES - the brilliant green 
THE SWINGIN’ SIXTIES
 

 

youtu.be

ブリグリのアコースティックセルフカバー。「冷たい花」がとても良い。
 
 
 
元気です。 - 吉田拓郎
元気です。

元気です。

 

 

加川良の手紙

加川良の手紙

フォークハマってます。このアルバムは昔から部屋に置いてあるアナログ。

 
 
 
 MIETA - 木村カエラ
MIETA(通常盤)

MIETA(通常盤)

 

youtu.be

 「Sync 」と「ROCK」までしか聴いてなくて、「出てるんだ〜」位な感じで聴いてみたらどちゃくそかっこいい。最高傑作かもしれない。

 

 

 

トラック

ねらいうち - 寺島由芙


 フェスの度にゆっふぃー最高だ!ってなる。アルバム出るのちょーうれしいんだけどこれは入ってないらしい。

 

 

 

復興ノ唄 - ゲルニカ


この前までソロかヤプーズの気分だったんだけど、ケラが舞台の挿入歌にしてたから久々にゲルニカに。そしてこんな感じの音楽の気分に。

 

 

 
東京の花売娘 - 佐藤千夜子
そっから更にディグる。 アイドルネッサンスの「お祭りマンボ」のカバー聞いて、50年代から60年代のリズムってなんだろうって考えてて掘り始めた。ゲルニカの源流みたいなのを探してる。
 
 
 
WHOOOO! - OZROSAURUS
フリースタイルダンジョンみててトラックからはまってしまった。オジロは通らなかったからちょーかっこいい。
 
 
 
 フィガロの結婚 - モーツァルト

なんか通りかかったらやってたからフラット入ったコンサートでやってたからハマってる。バイオリンって魔法。クラシックちゃんと聴きたい。
 
 
 
プカプカ - 西岡恭蔵

フォーク第二弾。超名曲。友達とフォークにはまってて色々聴いたけど結局これだ!って戻ってくる。

 

 

 
埠頭を渡る風 - 荒井由実

友達と人生で好きな曲30ってなんだ?って話してたら友達の1位はこれでした。自分の1位はなんだろう。考えてみよう。
 
 
 
 
 
 あとこれ。
 
 

【雑記】鞄を買った

鞄を買った。

使っていた安いリュックサックももう大分使ったので、旅行先で新しいリュックサックを買った。
ぱっと見とてもかわいらしかったので、自分は3色ある色の濃さからどれにするか悩み、真ん中のものを買った。
宿泊先に持ち帰るまでは、良い買い物をしたと思っていた。
 
いざ、その鞄を使ってみると、いくつかの問題があった。
四角くてかわいいな、と思っていたその出で立ちは少しモノを入れて背負っただけでフニャっとなる。全くもってフォルムの意味がない。プッチンプリンをプッチンするとグシャっとなるあの感じに似ている。更に、本当に気になるのは歩くたびにチャックの金具が「チリン、チリン」と鳴ることである。猫になった気分で歩くことを強いられてしまった。
多分、この鞄を作った人は試しに背負って歩いてみたこともないんじゃないか、と思った。フニャっとなる問題はまだしも、金具がチリンチリンとなる問題は少し歩けばわかりそうなものだ。おそらく、完成した、やったー!で終わってしまったのか。それとも、それほど高級品でもないから気にしていないのか。かわいいのに勿体無い。
私は貧乏性なため、なんとかこのかわいい鞄をかわいさを保ったまま背負えないかと試行錯誤した。鞄を買うのは約2年ぶりである。せっかくの2年に1度の出会いをこんな形で消費するのは勿体無い。フニャっとならないように厚紙をいれてみたり、チリンチリンしないようにビニールテープを巻いてみたりしてみたが、どれも上手くいかなかった。
 
これはセンスだ、と私は思った。ファッションセンスのことではなく、生きるセンスのことである。世の中の人は、殆ど鞄を持っている。そこには仕事の書類やら、手帳やら、常備薬やら、あるいはマンガやらを入れている。多くの人は何も背負わず自由にはなれない。
鞄は人間そのものを映すし、人の生きるセンスを映す。生き方や、生きてきた習慣を映す。私は手に持つ鞄は持ちたくない。きっとどこかに忘れて、そのままになってしまう。電車の前の女の人は、器用にかわいらしい小さな鞄ふたつを、吊革にもつかまらずに持っている。私には出来ない。友人のOさんは、普段鞄をもたない。いつもポケットに入れるのはスマートフォンと、小さなモバイルバッテリーと同じく小さな財布だけで、手ぶらで飄々と現れる。彼が何か受け取ったりしたり、私が彼に渡すものがあると、とりあえず持っててくれませんか、鞄ないので、と彼はそれを私の鞄などに入れておく。私はだいたい忘れて渡しそびれてしまうし、彼も忘れて受け取りそびれてしまうのだが、そういえば忘れてましたね、くらいな全く困ってない感じで、次の日あたりに飄々とメールがくる。交差点でまわりを見渡すと電車の中の人たちは、皆それぞれ自身にあった鞄を背負っている。少なくとも、その人自身をある程度映しているようには見えた。
背負っただけで、フニャっとなってしまう。少し歩くと、チリンチリンと音がする。かわいらしくあろうとしても、どこか適当で、肝心なところがしっかりしていない。それでも、騙し騙し背負われている。この鞄は、いかにも私の生きるセンスだな、と思った。

【音楽】きのこ帝国野音

滝のような爆音を聴きながら、私は人間はいつまでたってもずっと、孤独なのかもしれないな、と思った。

 

私を包んでいるのは音楽だけで、たとえ目を閉じてもずーっとなり続ける。目を開けると雨粒に反射したライトの光が見える。音は鳴っている。もし前につまづこうしても後ろに倒れようとしても私はきっとこのまま、ここにいるだけだ。ここにあるのは音と、佐藤さんの言葉、私の思考。思考だけ。

新曲。聴いたことのないメロディー。前奏はフィッシュマンズのような感じもする。彼女が云う、10年後も100年後も一緒にいるあなた、とはもしかしたら佐藤さん自身のことなのかもしれないな、なんて勝手に思った。
大切な人がいる。同じ時に同じようなことを思うような大切な人がいる。もし、あなたとずっといたい、と思ったら、同じように、きみとずっといたいなんて思ってくれる人がいる。でもそれは厳密には同じ気持ちじゃない。もし大切な「あなた」に対してずっといたいと思ったら、その「あなた」は「ぼくとずっといたい」って思わなきゃいけない。だってそうでしょう。「あなたが好き」と同じ気持ちは「きみが好き」じゃなくて「ぼくが好き」だ。僕らはみんな相手のことを考えているつもりで、ずっとどこかで自分のことを考えている。同じ気持ちでいたい、なんて思うけど、本当は同じ気持ちじゃなくて、私のことを考えて欲しい、なのかもしれない。だけどそれじゃあ寂しすぎるから「私とあなたでずっと一緒にいたい」って思う。ちゃんと自分のことも考える。そしたらあなたも「君と僕でずっと一緒にいたい」って思う。これでおんなじ気持ちだ。孤独だ。人はいつだってひとりぼっちのままだ。
 
アンコール、佐藤さんがまた出てきた。なんだか彼女はとても楽しそうだった。あーちゃんも、谷口くんも、コンくんも、楽しそうだった。彼らはおんなじきもちなんだろうか。きっとそうではないと思う。
拍手はまだ鳴っていた。3度目に顔を出した彼らはまた楽しそうに、国道スロープを演奏し始めた。観客の手が、初めてあがる。自分の前や後ろにこんなに沢山の人がいたのかと思った。知らない女の子の顔が見えた。彼女は楽しそうだった。気づけば私も手をあげていた。でもなんか違う気もして、下げた。曲が駆けている。上がっている手も下がっている手もある。多分私は、とても楽しかった。おなじ気持ちで、おなじ歌を聴いているのだろうか。多分違う。でも、なんだか、違う気持ちのままで、ひとりぼっちのままで、人は幸せになれる気がした。
きのこ帝国のライブに行った。
 
 
1.猫とアレルギー
2.35℃
3.パラノイドパレード
4.畦道で
5.ハッカ
6.夜鷹
7.クロノスタシス
8.夏の夜の街
9.夏の影(新曲)
10.海と花束
11.足首
12.WHIRLPOOL
13.ミュージシャン
14.夜が明けたら
15.クライベイビー
16.東京
 
ec1.
17.疾走
18.明日にはすべてが終わるとして
 
ec2.
19.国道スロープ
 

【音楽】私とSMAP。

一番最初に聴いた音楽を覚えているだろうか。


考えてみるけど、どうもわからない。「ヘルプ」だったのか「イエローサブマリン」だったのか、「シング」だったのか「トップ・オブ・ザ・ワールド」だったのか。「真夏の果実」だったのかもしれないし「いとしのエリー」だったのかもしれないし「ルージュの伝言」だったのかもしれない。もしくは童謡やディズニーの曲だったのかもしれない。なんてことないCMソングかもしれない。
じゃあ、一番最初に好きになったアーティストってなんだろう。というか、歌ひとつひとつに名前がついていて、それを歌っている人がいるなんてわかったのはいつだっただろうか。多分、私が一番最初に覚えたアーティストは「SMAP」だったと思う。
誰が好きだったなんて覚えてないけど、多分、気付いた時にはもう森くんは居なかったと思う。なんの曲を聴いていたかも覚えてないけど「夜空ノムコウ」は多分好きだったと思う。彼らはもう、きっとトップアーティストだったのだろう。
アンパンマンか何かのゆび人形に、メンバーの名前をつけていた。やきそばパンまんは「キムタク」、ハンバーガーキッドだっけ?彼は「なかいくん」あとなんだっけ「くさなぎくん」はしょくぱんまん。「しんごくん」と「いながきくん」が何だったかは忘れてしまった。5人でSMAPってことにしていた。
初めてリピートしたCDは、「らいおんハート」だった。我が家はシングルでMDを作っていたから、2曲目は「オレンジ」ではなくて「慎吾ママのおはロック」だった。幼稚園の友達に言ったら、ちがう、と言われた気がする。勿論、野島伸司の名前も小西康陽の名前も知らなかった。マヨネーズを吸うのに憧れていた。歌が上手いっていうのも何かわからなかったから、中居くんの歌だって気にならなかった。「しんごくんがいちばんうまい?」って聞いたら「どうだろう?上手くはないんじゃない?キムタクが一番マシかも」みたいなことを言われた。キムタクの歌い方が一番嫌いだった。きっと、普段と声が違うからだ。
小学校3年生くらいの時に「世界にひとつだけの花」が大ヒットした。少し特別な出来事のように騒いでいたけれど、私にはそんなことはなかった。一番ってなんだかわからないけど、ずっとSMAPが一番って思っていたからだ。それは、一番好きっていう意味じゃない。多分、好きなだけだったら、SMAPよりKinKi Kidsのほうが好きだった。キムタクより光一のほうが好きだった。でも、物心がついて、なんとなく一番すごいアーティストはSMAPだって思っていたし、芸能界?っていうところでもSMAPが一番すごいって思っていた。大御所なんてわからなかった。私にとっては一番古くからいるのはSMAPなのだ。知らないのはいないみたいなものだ。
「Bang!Bang!バカンス」が出た時は心配になった。世界ツアーだかなんだかよくわからないけど、そういうニュースがやっていたのかな?そんなに規模が大きなものじゃないと思うんだけど、それをみて「SMAPはもっともっとかっこいいんだ、これを見ただけでSMAPだなんて思わないでほしい」なんて勝手に思っていた。歌詞は面白いしげらげら笑っていたんだけど、かっこいいSMAPが見たかったんだと思う。
小学校高学年くらいになると、自分で色んな音楽を借りてくるようになる。そうすると親に聞かれた。「それ、どんな音楽?」だからオレンジレンジのCDを流しながら私は答えた。「この低いところを歌ってる人が、キムタクみたいなもん!」
小さな頃は、今みたいに夜更かしもしないで9時には寝る良い子だったから、たまに夜起きているとやっている憧れのテレビが「SMAP×SMAP」だった。子供が寝ている時間に起きると大人たちはそれをみてゲラゲラ笑っていた。怖い夢をみて泣きながらリビングに行くと中居くんがふざけた格好をしてセットを突き破っている。世の中で一番楽しいテレビに思えた。 
Joy!!(レモンイエロー)

Joy!!(レモンイエロー)

 

中学生になり、色んな音楽を聴くようになって、自然と彼らの曲を聴くことはなくなっていった。あんなに見たかったスマスマも、わざわざ見ることは結局あんまりなかった。MDは使わなくなり、よっぽどのことがないと聴くことはなくなった。SMAPの曲は、テレビの中だけで流れる音楽になった。色んなことを知って、小さな私がSMAPに抱いていた無敵感みたいなものも薄れていった。結局、SMAPのアルバムは一枚ももっていない。

だけど、それでも私にとってSMAPは特別だった。知らない曲なんて山ほどあるけど、いつ新曲がでたとか知らないけど、キムタクのドラマなんて観てなかったりするけど、私にとってSMAPは特別だった。クリスマスになると頭に流れるクリスマスソングと共に、変なことをしているSMAPとさんまの姿が浮かぶ。一番好きな曲を聴かれたら、なんだかんだ考えて、SMAPの「JOY‼︎」を答えるようにしている。歌そのものも最高だけど、楽しそうに踊るSMAPそのものがとても好きだ。全然ちゃんと聴いたりしていないけど、私はSMAPをとても大好きなのだ。
 
つまり、私にとってSMAPは、物心ついた時からそこにある、気づいたらもうそこにあった、空気や水や、母親のようなものなのだ。SMAPが歌って踊ってテレビに出ているということは、太陽が東から昇って西へ沈むくらい当たり前のことなのだ。ずっと見ていたり、追いかけたり興味深く観察したりしなくたって、SMAPが普通に在ることは、私にとってただの当たり前のことなのだ。 
SMAPがなくなってしまうと言われたら、かなしいのだろうか。せつないのだろうか。わからない。だって、そこにあるのが当たり前なのだから。無くなるはずがないのだから。無くなってしまうかもしれないってことを、考えても見なかったのだから。もしSMAPがなくなってしまったら、自分が普通だと思っていたことが、自分にとっての当たり前が、常識が、崩壊してしまうってことになる。そんなの、衝撃でしかない。そんなことってあるのだろうか。
明日からは太陽が西から昇ってきても、私はちっとも驚かないだろう。